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2025年7月28日

都大会を振り返って

まぁしかし,いろんなところで何度も書いていますが,武道は試合(での勝ち負け)が目的ではありません。もし試合での勝ち負けを目的にしてしまったら,その瞬間に「スポーツ」となってしまいます。武道は,スポーツ的要素もありますが,やはり,スポーツではありません。勝ち負けを目的としていません。だから,勝とうが負けようがどうでも良いのです。

ただ,勝つ,ということは日頃の稽古の中身が間違いではなかった,ということの一つの証であり,当然,武道愛好家としてその証を1つでも2つでもいただけるのはありがたい。負けたら負けたで,日ごろの稽古が足りなかったのだ,どこかに間違いがあるのだと反省し,工夫を重ねて,また稽古に打ち込めば良い。だから,できる限り,日ごろの稽古を丹念に丁寧に誠実に十分に行って試合に臨むことが望ましい。

つまり,年に一度の大会(試合)に出ることを毎年の「目標」(「目的」ではない)として,1年間の稽古をしっかりと行う。武道は,稽古が主で試合が従,とはそういう意味です。メインは稽古なのです。いかに稽古を充実させるかの一つの目安,手がかり,区切りとして大会があるということです。

ここんところは,すぐに本末転倒しやすいので,武道をしている人は気を付けた方が良い。気が付くとつい,「目標」にしている試合が「目的」化してしまい,普段の稽古を「目的」を達成するための「手段」とみなしてしまいがちです。これは大いなる間違い。そういう意味では,武道の目的はあくまで「稽古」であり,その稽古を充実させるための手段が「試合」です。

Y君とK君は,試合に出るからにはと(いつもよりも気を入れて)稽古に励んだために,やっぱり,見違えるように上手くなりました。試合には,そういう効果があるので,出られるなら出た方が良いし,出るからには稽古をする。その方が,稽古も試合もより一層,面白くなります。でも,結果(勝ち負け)は関係ありません。武道稽古は,楽しくなくてはいけませんから。

逆に言えば,ほとんど稽古もしないで単に試合にだけ出るのは無意味な気がします。なぜなら,出る理由がよく分からないからです。稽古もせず,試合にも負ける。当然です。一体,何が楽しいのか。一方,試合に出なくても充実した稽古ができている(稽古が楽しい)と思っている人は,あえて試合に出なくてもまったく問題ありません。主(=目的)は稽古であり,あくまで試合は従(=手段)だからです。


別な面で言えば,試合をしに同じ愛好家が一堂に集まる大会は,ハレの場であり,お祭りです。普段はいつもの仲間内だけで稽古をしていますが,この時ばかりは,いろんなところからいろんな人が集まって,互いに技を演武して,日ごろの稽古の成果を出し合います。

高段者の技を見て,また,段位に関わらず上手な人の技を見て,こうやってやるのか,ああするのかと,いろいろ勉強になります。多くの人が見ている中で,緊張しながら演武をするというのも,自分の技を磨く上で良い経験になります。ここのところが上手く行かなかったな,もっと稽古しよう,そんな風に感じれば,ますます稽古は楽しくなります。

愛好会の学生が,大会を通じて,こういういろんな経験を楽しんでもらえれば一番良いなと思っています。

まぁしかし,人それぞれ,武道の楽しみ方というのはあるので,これは正しい,あれは間違っている,というのはないわけですが,しかし,どうせやるならばこうある方が良いのではないかという理想は私なりにあるので,それに倣うかどうかはともかく,そういう私なりの理想を学生には提案していきたいなと思っています。


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