2025年12月1日

第12回広島杖道大会

広島杖道大会に出場してきました。

個人戦,団体戦ともに,1回戦敗退でした。残念。

ただ,今回は非常に大きなものを一つ得ることができました。ごくごく当たり前の,いや,武道的には本当に初歩の初歩,初級中の初級,イントロ中のイントロだと思うのですが,それは,「目付」です。

広島大会は,大会の前日の土曜日の午後13:00~16:00,随時自由参加の合同稽古というのを行います。これはたぶん,非常に珍しい形態です。各自相手を見つけて稽古したり,高段者の先生に稽古をつけていただいたりと,3時間,会場内でみなさん自由に稽古している感じでした。人見知りして一人体操なんかしていたら(笑),声かけていただいたりして,本当にありがたい限りでした。

その際,広島の先生に稽古をつけていただいたのですが,「目付」(視線)のことをご指摘いただき,何か根本的にひっくりかえるように,ハッとさせられました。具体的には,自分がいかに,相手の太刀や攻撃箇所だとか自分の杖だとかをチラチラと見ているか,つまり,視線がしょっちゅう外れるかを知ることができました。

これは本当に良いものをいただいたと思い,もちろん,翌日日曜日の試合でも実践しようとしたのですが,まぁ,急に意識してやっても(付け焼刃?ですから)それはそれで難しく,結果には結びつきませんでしたが,この経験を反すうしていて,帰りの道中,さらにハタと分かったことがありました。

それは,自分がいかに自分の身体にばかり意識を向けているか(向けすぎているか),です。杖道は,相手(敵)と対峙して,二人で演武する武道です。相対している目の前の相手の目を通して,相手と自分がつながることを,というか,そもそもそれが太刀と杖で演武する杖道(の醍醐味)であることを,自分の身体のことばかりに意識を向けすぎていて,全然分かっていなかったことが分かりました。

前日の広島の先生の仰っていたこの言葉(「目を通して自分と相手がつながる。それが杖道の醍醐味」)の意味が,なんというか,実践によって体感でもって身に染みて,分かったのです。

おそらく自己の身体に意識を向けすぎるので,試合のときはさらに緊張もしますから,よけいに動きが硬く,ぎこちなく,小さくなるのです。相手のことは置き去りにして,自分のことばかり考えている。つまり,結局やっぱり,「私」に囚われている,「私」に執着しているのです。我執ですね。

「私」から離れること。それには,相手の目を見て切らさないこと。

「目付」の本質,大事さを改めて知る,というか,杖道という武道の醍醐味(面白さ,奥深さ,難しさ)を改めて知る,本当に良い経験でした。いやぁ,新幹線代とホテル代を使って広島まで行って,本当に良かった~。負け惜しみではなく,本当に,負けて大収穫(笑)。勝ってたら分からない,そういう,貴重な学びを得ることができました。


行為主体性の進化

マイケル・トマセロ(著)高橋洋(訳) 2023 白揚社

これはすごい。名著だ。哲学者や心理学者なら,絶対に読んでおくべきでしょう。


2025年11月14日

無意味なものと不気味なもの

春日武彦 2007 文藝春秋

買ったわ良いが,この装丁,なんとなく見たことあるなぁと思っていたのですが,研究室の本棚をざっと見たところ,見当たらない。というのも,私は春日武彦ファンであり(ただし,一時期,御母堂を失くされた後に書かれた本が,ものすご~くジメジメとした筆致で,まさにタイトルは,『鬱屈精神科医,占いにすがる』であり,こんなに切れ味悪かったかなと思って,読むのを止めていた時期がありますが),ファンであるが故に買っているはずだと思ったわけですが,やっぱり見当たらない。

ならば記憶違いかと思っていたのですが,しかし,どうも読んだような記憶があるようなないような。読んだとは言い切れないぐらい曖昧だから,読んでいて面白かったけれど,第十二章「世界の構造」に至って,明らかにこれはかつて読んだことを思い出しました。今から18年前ですか。

そう思ってもう一度丹念に研究室の本棚を探したのですが,やっぱり,ない。小説以外,本を売ることも捨てることも基本的にないんだけどなぁ。でも,これ,前に読んでるぞ絶対。

と,まぁ,ある意味,メタに不思議な読書体験でした。


2025年11月8日

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

河野啓 2020 集英社

右手の親指以外の指をすべて凍傷で失ってまでエベレスト登頂に何度も挑戦し,最後は滑落死した登山家・栗城史多氏(35歳没)。当時,知名度の割に登山家としての実力が諸方面で疑問視される中,両手の指のほとんどを切断してまで登り続けるこの栗城と言う人を,なんだか痛々しく思った記憶がある。何というか,(登りたくないのに)登らざるを得ない状況に追い込まれている(自ら自分を追い込んでしまってる)んだろうなぁと。引っ込みがつかなくなって,泣く泣く登山して,手の指までほぼ全部失くして,まだ全然若いのに最後は唐突に滑落死・・・。その根源は単なる見栄なのか,称賛欲なのか,名誉欲なのか,あるいは金銭欲なのか,その時は,別に登山そのものには興味がないので,よく分からなかったわけですが,気にはなっていました。

かつて「ヤンキー先生」だったあの義家弘介氏が政治家になってドンドン様子が変わっていくのが不思議だなぁと思っていたわけですが,その義家氏のことを書いた『ヤンキー母校に恥じる』が出て,おおなるほど,そういう背景があったのね,とその取材力と筆力に読みごたえを感じていた,河野啓氏の前作が,これでした。で,即座に購入。ようやく読めました。

今回も,おおなるほど,そういう背景があったのね,と,あっという間に読み切りました。読むにつれ,登山には全然向いてなかったけど,ある意味で稀有な才能を持った栗城氏にはもっと別の人生があったかもと,「たられば」を考えてしまいますが,しかし,でも,たまたま登山であったのではなく,やっぱり登山でなければ世に出て来られなかったかもしれない,とも思いました。義家氏が,「先生」でなければならなかったように。

どんな人であっても(ヒーローでもアンチヒーローでも),生きててさえくれればなぁ。かの義家氏は今年の3月に政治家を引退し,今は少年院の篤志面接委員と通信制高校の特任教諭をしているそうです。


2025年11月5日

SNS時代の戦略兵器 陰謀論 民主主義をむしばむ認知戦の脅威

長迫智子・小谷賢・大澤淳 2024 ウェッジ

敵対国の社会的混乱(例えば国民の分断等)によって政治的な意志決定を麻痺させ,戦時における自国の優位を確保するために,平時からSNSを通じてディスインフォメーション(偽情報)を蔓延させて対象国の国民の認識に影響を与えようとする「認知戦・情報戦」が盛んに展開されている。このとき,いわゆる陰謀論的言説がそのネタに大いに用いられている,ということをアメリカ大統領選やウクライナ戦争などを例に解説した本。

選挙だとか戦争だとか政治的なイベントだとかの前後で,よく分からない謎な(荒唐無稽な)情報がどうしてこうもしょっちゅう出回るのかが,よく分かりました。


2025年11月1日

霊的最前線に立て!オカルト・アンダーグラウンド全史

武田崇元・横山茂雄 2024 国書刊行会

これは面白かった!ひたすら二人のオカルト談義(400ページ)。まさに博覧強記とはこのこと。


2025年10月22日

ヒトはなぜ自殺するのか:死に向かう心の科学

ジェシー・べリング(著)鈴木光太郎(訳) 2021 化学同人

これも非常に勉強になりました。新潟大の鈴木光太郎先生の訳。しかし,なぜ鈴木先生が?と思って読んでましたが,けっこう進化的な観点の話が多いからか,と納得。なお,鈴木先生はこのベリングの本をすでに3冊訳してます。これで4冊目。



2025年10月19日

第52回全日本杖道大会

1回戦敗退。

思うところはいろいろありますが,足りないところは多々あり。清々しいぐらいの負けっぷり。とにかく,あれこれと足りませんでした。身体的にも精神的にも。身体と心。まだまだ全く,修業がなってません。稽古あるのみ。一から稽古し直し。

つまり,逆に言えば,収穫もまた多々あり。何が足りないか。現段階で見える範囲で,足りないところに気づくことができました。

四段~七段の決勝まで見ました。スピード,パワー,気迫はもちろん,そこに正確さ,キレ,安定感(体軸のブレなさ)がある。そして,剛と柔。線と円。概して,美しい。私に足りないものがたくさんありました。全然,足りてません。自分はまだまだまったく美しくない。武術的な美しさ。

勝つ人は勝ちます。常に勝つ。圧倒的に勝つ。それは,日々の稽古・鍛錬の積み重ね。正確さ,キレ,安定感は,ひたすらに稽古をしてきた蓄積だと思う。そう思いたい。ああいう,正確な杖筋と太刀筋,キレのある杖裁きと太刀裁き,姿勢や重心の安定感は,むろんセンスや才能もあるだろうけれど,むしろ,ただひたすら愚直な稽古の継続と蓄積なのではないだろうか。そう信じて稽古あるのみ。

試合を稽古の糧にしていくこと。それが武道で試合をする本来的な意味だから,稽古に活かさなければ試合をする意味もなし。ただ,あっさり負けるとその分フィードバックも少ないから,稽古の糧にするためにも,もう少しやりたかったなぁ(笑)。


2025年10月13日

PERFECT DAYS

(日本/ドイツ,2023)

主演・役所広司。第76回カンヌ映画祭男優賞。ようやく観ました。なんというか,こう,じわじわ来るね。

★★★★


2025年10月10日