ここで書いていることは,要するに,私がこれまで拙著『空手と禅』『空手と太極拳でマインドフルネス』で主張していることでもあります,「武術稽古とは,行為としては,マインドフルネス瞑想である」ということです。
「行為としては」というのは,在り方としては瞑想そのものですが,そのことを自覚しているかどうかで,瞑想かどうかが分かれると思うからです。
起きている(覚醒している)間のあらゆる行為・状態は,すべて瞑想(マインドフルネス瞑想)となりえます。瞑想と自覚して行為するかどうか,瞑想と自覚してその状態にあるかどうかで,瞑想となったりならなかったりします。
ですから,武術でなくても瞑想になりうるわけですが,日常一般の行為や状態に比べれば,武術稽古はより瞑想として自覚して取り組みやすいといえます。
今回の記事をお読みになり,興味関心を持たれたからは,拙著『空手と禅』『空手と太極拳でマインドフルネス』に詳しく書いていますので,是非,ご参照いただければと思います。
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