(原題:Gattaca)(アメリカ,1997)
いつか見ようと思っていて,なかなか見られず,ようやく見ることができました。
遺伝子でもって将来の能力や疾患などがほぼすべて分かってしまう社会。そこでは,遺伝子操作で適正な(優秀な)人間だけを選択して産むようになっていた。そんな中,普通の出産でこの世に生を受けた<不適正者>のヴィンセント(イーサン・ホーク)は,いつか宇宙飛行士になるという,叶わぬ夢を見る。やがて青年になり,家を出て,宇宙局ガタカで清掃員として働いていたヴィンセントは,ある裏取引によって,事故に遭って半身不随になった(極めて優秀な遺伝子を持つ)<適正者>のジェローム(ジュード・ロウ)になりすます。取引の条件は,外に出て働けないジェロームが自分の血液,尿,毛髪などを提供する代わりに,ヴィンセントがジェロームを一生養う,というものであった。こうしてジェロームとヴィンセントの,二人一役の危うい生活が始まる。そして,まんまとジェロームになりすましたヴィンセントは,ガタカに入局することに成功する。
だいたいの粗筋はもう,いくつもの映画評論の中でしょっちゅう出てくるのでだいたい分かってましたが,なるほど,こういう映画でしたか。イーサン・ホークとジュード・ロウ,そしてユマ・サーマン。
なぜ「血液,尿,毛髪」かというと,宇宙局ガタカや警察の捜査では,本人確認(すなわち,結果的に,<適正者>か<不適正者>かの確認)を,血液と尿と毛髪によるDNA検査で行う仕組みだからです(その場で即時判定され,IDが確認される)。今であれば,本人確認といえば指紋認証や顔認証,あるいは光彩認証だけれど,この映画では社会全体で本人確認は同時に「遺伝子的に適正か不適正か」の判明になっているところがポイント。
もう一つのポイントは,そもそもヴィンセントは遺伝子的には<不適正者>なのにもかかわらず,ガタカで優秀な成績を上げ,「さすがジェローム」とか言われながら,土星の月タイタンへの宇宙船へ搭乗する飛行士に抜擢させること。人間の可能性は遺伝子で全て決まらない。ここがこの映画のメッセージですね。
この映画が,1997年に作られているところに,おそらくテーマとの関わりがあるでしょう。というのも,いわゆるヒトゲノム(ヒトのDNAの全塩基配列)の解読は,1990年にアメリカで始まり,2003年に完成版が公開されています(ヒトゲノム計画)。つまりちょうど,ヒトゲノム計画の真っただ中であることから,「人間の遺伝子がすべて解読されてしまったらどうなるんだ?」という期待(遺伝的な疾患・疾病の治療法など)と不安(まさにガタカ的世界の到来など)が入り混じった感情があったのだろうと推測されます。そういう近未来社会への時代的不安が投影されたのがまさにこの映画なのでしょうね。
ただね,普通に考えたら,たかだか全塩基配列(配列ですよ配列!)が解読(解読ですよ解読!)されたところで,それが実際のどういう表現型と関連があるのか(予測するのか)は,これまた膨大な研究が必要なわけです。加えて,この映画のメッセージでもありますが,当然ながら人間の能力や性質の形成には環境要因(経験や行動の蓄積による影響)が大きいわけですから,必ずしもDNAによってすべてが予測できるわけがありません。映画の中でも,ヴィンセントは遺伝的には劣っていても優秀な宇宙飛行士として認められているし,ジェロームは遺伝的には極めて優れているのに水泳で銀メダルしか取っていないと嘆いています。
とまぁ,今見ても,思うことがいろいろと浮かんでくる良い映画です。未来世界の描写も良い。自動車は電気自動車だし。
★★★★

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