(日本/ドイツ,2023)
主演・役所広司。第76回カンヌ映画祭男優賞。ようやく観ました。なんというか,こう,じわじわ来るね。
★★★★
(原題:American Carnage)(アメリカ,2022)
不法移民とその家族(子どもはアメリカで生まれているからアメリカ国民なのに)が逮捕されるが,3か月間介護付き老人ホームでボランティアをすれば釈放されるというプログラムに参加するか(あるいは刑務所に行くか)と誘われ,プログラムに参加する主人公JP。しかしその施設は何かが怪しい・・・と,ここまでの展開は移民や差別の問題も絡んでいて悪くはないと思ったので,さてどうなるか最後まで観ましたが,もう途中から無茶苦茶でした。なんだこれ。
こういう,無茶苦茶なのが,意外と後々カルト映画化するのかね。
★
(原題:Spiritwalker)(韓国,2021)
12時間ごとに体が入れ替わる記憶喪失の男。俺は一体誰だ?
アイディアは面白い。そのアイディアを利用した展開はサスペンスとしても面白い。アクションも,まぁ,良い(ただし,そんなに入れ込まなくても良かったのでは。ジョン・ウィック的なガンアクションが長い。そこ,この話にとってそんなに重要か?)。ただ,そもそも,その根本的なアイディアが成立する理屈がちょっと強引かなぁ。別に科学的な根拠は設けなくても,超自然的な力でそうなってしまった,とかでも良いように思うけどね。アイディアは良かった。
★★★
(日本,2025)
面白かった~。邦画は普段ほとんど見ませんが,ホラーコメディで,なんとなく面白そうだったので見てみました。
突然,霊が見えるようになってしまった女子高生のみこ(原菜乃華)。見えてることに気づかれると霊がついてきてしまうので,見ないふりしてしのいでいたところ,ある朝,親友のハナ(久間田琳加)の右肩に霊の手が!
★★★
(原題:Ich Bin Dein Mensch)(ドイツ,2021)
イイ話でした。ずっと見ようとは思いつつ,なかなか見られなかった。というのも,テーマがテーマだけに,ものすごくありきたりで下らなかったらどうしようと思って,つい避けてました。が,しかし,イイ映画だった。以下,ちょっとネタバレ含む。
伴侶(恋人)として,自分好みに設定されている精巧なアンドロイドと3週間暮らす実験に参加する,考古学者のアルマ(独身)。アンドロイド(ロボット)が人間の伴侶になるわけがないと端から懐疑的だが,実験に参加すれば研究旅費を付けるからと学部長に誘われ,しぶしぶ参加する。キザなセリフとシチュエーション作りでアルマを喜ばせようとするハンサムなアンドロイドのトムとの奇妙な同居生活が始まる。
トムは,キザな二枚目野郎だけど,どうすればアルマが幸せになるかを考えて(フル計算して),さりげなく奮闘する健気さが切ない。でしゃばらないし,おしつけがましくない。しかし,トムが何をしようとも,(最初は特に)やることなすことキザすぎる(アルゴリズムが最適化されていないから/深層学習が進んでいない初期設定だから),回答が完璧で正論すぎる(AIだからね),そんな機械とは恋人になんかなれないと,頑なに合理と論理を優先しようとする科学者のアルマ。これもまた道理。
共に過ごすことによって最適化が進み,やがて完璧な伴侶となるアンドロイド。それはその人の望み通りの伴侶であり,その人はそれによって幸せになれるだろう。しかし,そうなると人はもはや,生身の人と付き合うことができなくなるにちがいない。だから,最後にアルマが下した実験の評価は「×」。でも,アルマは,いなくなったトムを探しに行く。
★★★★
(原題:The Man who Killed Hitler and then the Bigfoot)(アメリカ,2018)
思わずまた見てしまった。3回目。これ,傑作だと思います。何回見ても面白い。
第二次世界大戦。出兵で最愛の恋人と離れ離れになり,戻ってきたときには,すでに恋人は若くして亡くなっていた。やがて長い年月が過ぎ,白髪の老人となった男は,閉店間際までいた場末のバーで,ガラスに映る年老いた自分の姿を見て,深いため息をつく・・・。
まず,「ヒトラー」と「ビッグフット」の組み合わせが秀逸。タイトルで思いきりB級感を漂わせつつ(笑),国家の都合に翻弄される男の悲哀を丁寧に描いている。そして,ナメ殺。ヨタヨタした老人だと思ってナメて襲ってきたチンピラ強盗三人を瞬殺。人類滅亡を救う最後の望みは,かつて,天才的な語学力と追跡能力を買われ,歴史の裏側でヒトラー暗殺を完遂させた伝説の老兵に託される。
なお,細かい下りはやっぱり(配信用に?)編集(カット)されてるところがあるかなぁ。帽子屋のところで,抜きん出た語学力を仄めかす,婚約者とのやりとりがあったような・・・。
★★★★
(原題:2012)(アメリカ,2009)
世界滅亡パニック。太陽系の惑星直列が巨大太陽フレアを引き起こし,大量のニュートリノが地球に届いたため,地球全体の地殻崩壊が起こり,巨大噴火と巨大地震が発生。世界の首脳は,このことを予期して,「宇宙船」による脱出を密かに計画。果たして主人公たちは船に辿り着けるか。
波打つ地割れ,巨大噴火,巨大津波,世界中の有名な建造物の崩壊を,いかにリアルに見せるか。その崩壊する世界を掻い潜って逃げる,主人公たちを載せた車,飛行機。つまり,遊園地のジェットコースターだね。人間模様を織り込もうとするけど,それもありきたり。
うーん,なんだかなぁ。ディザスターパニック映画が好きな人には,美味しい場面てんこ盛りで,たまらんのだろうね。あんまり好きじゃないと思っていたけど,やっぱりあんまり好きじゃないわ。
星一つでも良いぐらいだけど,映像的には,まぁ,遊園地的な意味ですごかったので,星二つ。
★★
(日本,2018)
また見ちゃいました。よくできてるよね。飽きさせない展開。しかし,何度見ても,妻夫木聡の,似非イクメンブログ野郎の糞っぷりが見事な演技。魔物(ぼぎわん)のせいで,人が次から次へと死んでいきます。
★★★
9月14日(日)に福岡にて開催された,第60回全国杖道大会の「三段の部」で3位となり,銅メダルをいただきました。
今回つくづく感じたのは,自分がいかにマインドフルでないか,ということでした。試合中,緊張と疲労によって,体軸も手の内もブレまくり,沸き起こる感情と思考に囚われ,心技体,気杖体,まるでチグハグで一瞬たりとも一致・調和せず。まったく修業が足りないことを改めて痛感しました。3位(銅メダル)をいただけたのは本当に幸運でした。
力任せ・勢い任せの技ではない,無駄な力の抜けた自然な技,それでいて気が充実している隙のない身体。緊張と疲労を打ち消そうとしてムキになってガムシャラにやっているようでは,まったく全然です。いついかなるときでも悠然と構えて,マインドフルに自然な技が出せないと。そのことに気づくことができました。わざわざ遠く福岡まで2泊3日かけて往復したので(笑),非常に良い経験をすることができました。
そういえば,先日(9/20)の東京都の講習会で,東浜先生が,「無駄を削ぎ落していくこと」と仰っていたことを思い出しました。
(原題:Night of the Living Dead)(アメリカ,1968)
ロメロゾンビの原点。ゾンビ映画が好きなくせに,実は今まで観てなかったので(すいません。と,誰にともなく謝る),ようやく観ました。なるほど,ラストがね。
<ロメロゾンビ文法>(本作のゾンビ描写)
・目標:人肉(flesh)を食らう。だから生きている人間(freshなflesh)を求めて彷徨う。
・状態:死んでいる。死体が生き返る。死の理由は関係なく,とにかく死ぬと数分で動き出す。
・行動:ゆっくり歩くが,目標を見つけると襲いかかる。石を投げたり,ドアを開けたりする程度の知能は残っている。
・弱点:頭(脳?)を破壊すると止まる。火に弱い(火を怖がる)。焼却(火葬)による始末が望ましい。
・原因:探査衛星爆破による放射能の影響?
その後に展開する近年のゾンビもの(ゾンビ的なもの)との違いは,
・感染性:ゾンビに食われる(かじられる,体液を浴びる)とゾンビになる。
・運動性:素早く動く(走る)。
・凶暴性:ものすごく凶暴化(超人化)する。
・夜行性:場合によっては夜しか活動できない。
でしょうか。こうやって見ると,吸血鬼(バンパイア)の影響がありますね。本家ロメロゾンビ+バンパイア=現代ゾンビ。
★★★
京極夏彦 2024 文芸春秋
貧乏長屋に住むうらなりの本草学者,久瀬棠庵。大家の息子で,親父の代わりに長屋を差配する,これといって取り柄のない藤介と,長屋に起こる事件を解決する。さすが京極。これも面白いね~。
(原題:Cerdita / Piggy)(スペイン,2022)
太っているせいで,近所に住む三人の女子から執拗にいじめられているサラ。あるとき,まだ人のいない早朝の天然プールで一人で泳いでいると運悪くまたいじめに遭い,服も持ち物も全部持っていかれてしまった。泣く泣く水着で帰る途中,いじめていた三人が男に拉致され,連れ去られるところに遭遇する。
殺人鬼ホラー。でも,ただの殺人鬼ではない。妙な具合に屈折してます。原題のcerditaは,スペイン語で「子ブタ」。Piggyも「子ブタ」ね。
★★★
ニーナ・ネセス(著)五十嵐加奈子(訳) 2024 フィルムアート社
ホラー映画とは何か,恐怖とは何か,何に恐怖を感じるのか,なぜ恐怖を感じるのか,なぜ人は恐怖を求めるのか,など。心理学の基本的な知見の話が半分ぐらいかな~。『恐怖の哲学』(戸田山和久),『恐怖の正体』(春日武彦)との併読をオススメします。
(原題:Summer of 84)(カナダ,2017)
面白い。面白いのに,最後,かなり後味悪いな~。不必要な後味の悪さ。
連続殺人鬼は,隣に住む警官のマッキーではないかと疑う15歳の少年デイビー。夏休み中,仲間3人を誘って,マッキーを監視し,周辺を調べて,証拠を見つけ出そうとする。
犯人は本当にマッキーなのか,そうでないのか。ハラハラさせる展開はほぼほぼ飽きさせずに面白かったけど,個人的には,ラストがいかん。可哀想過ぎる。なんでそうなるのよ。最後で台無し。
★★
(原題:28 Weeks Later)(イギリス/スペイン,2007)
ご存じ『28日後...』の続編。久しぶりに見たけど,覚えてるのは前半部分だけでした。後半の展開は全然覚えてなかった。もうすぐアマプラでも『28年後...』が見られそう。そのための復習。
ゾンビじゃないからね,レイジ・ウィルス。
ところで,少し短く編集されてるような気もするのは気の所為?この前の『ゲットアウト』もそうだけど,配信用に再編されてるのかな。
★★★
由原かのん 2022 文芸春秋
お江戸の良い話4つ。「首ざむらい」「よもぎの心」「孤蝶の夢」「ねこまた」。タイトルの「首ざむらい」から,なんだかホラーな小説かと思ってはいけません。副題の「世にも快奇な江戸物語」をよく見ると,「怪奇」ではなく「快奇」。化け狐,河童,猫又と,妖怪の話は出てきますが(いや,首だけで生きてるって時点で怪しいか:笑),怖い話ではなくて,良い話です。おすすめ。
「ねこまた」の主人公・猫矢又四郎の続編?「ねこまた:狸穴素浪人始末」ってのが先月出てたので,今度読もうと思います。
(原題:Kingdom of the Planet of the Apes)(アメリカ,2024)
シーザーが死んでから数世代後(300年後?)の世界。
そもそも,ウィルスにやられていない一部の人間はいったいどうやって何百年も生き延びているのか。食料は?エネルギーは?道具やら機械やら,その文化的水準をどうやって維持できているのか。錆びるだろうし,劣化するだろうし,故障するだろうし。精密な機械なんて,普通,何百年も経ったら正常には動かんでしょう。ウィルス蔓延直後じゃないよ。300年も後だぞ。例えば,今から300年前って,1700年代前半だぞ。暴れん坊将軍だぞ。パソコンだって数年放っておいたらすぐ壊れるぞ。それに,そんなに長く生き延びてる人間たちはなんであんなに(今風の格好のまま)身綺麗なんだ?風呂入ってるのか?誰が着る物を作ってるんだ?ユニクロはないぞ。肌艶も良くて健康的だし。おかしいだろ。
一方,人間の作ったビルやら船やら天文台やら,数多くの建造物や遺物を見て,エイプたちは何も思わないのか。自分たちだって木で大きな建造物を作ってるわけで,建造物か自然物かは区別できるでしょう。自分たちが作ったものじゃなきゃ,一体どうやってできたものだと思ってるのか。なおかつ,数世代なら語り継いでたっておかしくないから,やっぱり,人間が作ったものとしか考えられないでしょう。
建造物が遺跡並みに崩壊しているのに,ウィルスにやられていない人間たちの服や道具や機械はそのままの状態で保存・維持・管理されていて,かつ,正常に作動する,っておかしくないか。帳尻が合わない。なんか,もう,ここまでくると,いろいろご都合主義すぎて,すんなり飲み込めません(笑)。
エイプたちの造形や動き,生活の描写,廃墟となった世界の様子なんかは見事だけど,そこんところにばかりリアリティを追求していて,人間の方のリアリティがおろそか。ちぐはぐ。
★★
杖道は面白い。なぜだろう。最後に,「杖道」という現代武道の,運動的体力的な面から考えてみる。
★形武道なので,年齢に関係なくできる。
・そもそも武道だし,ギリギリの攻防で稽古することが理想だから,そうなれば激しいけれども,その時々で,各自の力量に合わせて調節できる(せざるをえない)。
・延々と動くような有酸素運動ではないから,体力的に,あまりきつくない。(ただし,12本を続けて行えば息は上がるし,厳しい攻防をすれば,それはそれで,息は上がる)
・だから,身体が動く限り,生涯,稽古できる。
・実際,愛好家の平均年齢は高い。60代,70代も多い。80代も普通におられる。これはすごい。生涯学習。生涯武道。現代的なニーズに答えている。
・何歳からでも始められる。
・そして,年齢的に差があっても(体力差があっても),一緒に稽古することができる。
・なので,試合では,ときどき,年齢差のあるペアも見受けられる。
★型武道なので,男女関係なく一緒にできる。
・当然,体力差のある男女でも,ペアを組むことができる。これはすごい。
・実際,試合では,男女ペアもたくさんいるし,ご夫婦のペアもしばしばいる。
杖道は面白い。なぜか。次に,「杖道」の独特な稽古体系ゆえに生じるコミュニティ性・関係性から考えてみる。
★相手がいるので,仲間が増えやすい。
・相手が必要なので,知り合いが増える。「杖友」が増える。
・数珠繋ぎ的,あるいは,ネットワーク的に増える。
・相手の知り合いとも知り合いになれる。仲間が広がる。トモダチのトモダチはみなトモダチだ。
★演武の相手は相方(パートナーpartner)であり,敵(オポーネントopponent)ではない。
・演武は,相手とともに作り上げ,表現する,一つのアートである。戦っているけど,戦っていない。
・我が心の師父ブルース・リーも言っている通り,武術とは自己表現である。アートとは自己表現である。したがって,武術とはアートである。
・お互いが一つのアートのpartであり,決してopposeしているわけではない。合気的。
・だから,対立的ではなく,融和的である。
杖道は面白い。なぜ面白いのか。次に,「杖道」という現代武道が制定の形武道であるがゆえに生まれる面白さを考えてみる。
★制定で12本,形が決まっている。
・12本なので,形がそれほど多くない。
・基本技12本,形12本。
・多くない分,十分な時間をかけて深められる。むしろ,12本すべて覚えてから,一つ一つの形,一つ一つの技,一つ一つの動きを深める方にウェイトがある。
・形そのものも,最後の「乱合」を除いて,それほど長く複雑ではない。シンプル。深めるのに適している。
・12本覚えてしまえば,高段者とも形を合わせることができる。これはすごいことだと思う。
★制定なので,初めての人とでも演武できる。
・高段者とできるように,その日そのときに初めて会った人とでもすぐできる。
・世界中,まったく同じ形をやっているから,(行ったことはないけれど)ヨーロッパに行っても北米に行っても,その場ですぐに合わせることができる。これはすごいことだと思う。
・つまり,身体的な共通言語,国際語,世界語である。
杖道は面白い。少なくとも私にとっては非常に面白い。やればやるほど面白い。さらには愛好家2万人という話なので,少なくとも全世界人口のうち2万に上る人間にとっては面白いのである。なぜ面白いのか。他の武道と何が違うのか。なぜ杖道なのか。
まずは「杖道」という武道はどのように稽古されるのか,その稽古方法の特性から,その面白さについて考えてみた。
★二人で演武する形武道である。
・形武道といっても,(居合や空手のように)仮想敵に対して,ひたすら一人で淡々と演武するわけではない。
・したがって,形(技の攻防)にリアリティがある。
・動きが決まっている型武道なので,白樫の固い武具で,ギリギリのところの,非常に緊張感のある攻防の稽古ができる。
★杖と太刀という,異なる武具で演武する。
・杖と杖で演武するわけではない。太刀の攻撃に対して杖で制する技の体系である。
・したがって,杖はもちろんだが,剣(太刀)も稽古できる(しなければならない)。
・杖道なので杖が主だが,杖の演武の質は太刀によって左右されるため,太刀が上手でなければならない。(打太刀が上位)
・したがって,太刀の稽古が(杖の稽古と同じぐらい)重要である。
★相手の力量によって演武の質が変化する。
・相手を感じ,相手とつながり,いかに相手と身体的に対話するかが重要である。
・つまり,合気的な要素が大きい。相手を無視して一人で勝手に動いてしまっては,まったく攻防の体にならない。ちぐはぐになる。
・二人で演武するが,乱取りや地稽古のように,その二人が自由に技を出してお互いの力量を競っているわけではない。
(日本,1979)
新聞少年・吉岡(本間雄二)。和歌山から上京して住み込みで働き,ときどき予備校に通う浪人生。毎朝配達する先のことごとくに不満と怒りを抱き,配達区域の精密な地図を書いて,×印を入れ,電話帳で番号を調べていたずら電話をかけまくってうっぷんを晴らしている(昔は,個人情報保護なんて感覚はなかったから,分厚い電話帳に名前と住所と電話番号,全部書いてあったもんね)。同部屋の紺野は,うだつの上がらない30男(蟹江敬三)。「どうやって生きていけばいいのか分からない」と嘆きながら,ケチな窃盗までして,好きな女に貢ぐダメ人間。その女もまた,生きるより死んだ方がましだと思いつつ,死ねないで底辺で暮らしている。
1979年(昭和54年)の映画。原作は中上健次『十九歳の地図』(1973年,昭和48年)。昭和48年は2歳,昭和54年は8歳でした。小さい頃の昭和の空気と景色。街と人。住宅と家具。服と髪型。舗装している道としてない道。公衆電話。
何かこうなんとなく全体的に上手く行かず,鬱屈した怨念のようなエネルギー(あるいは攻撃性)を,どう扱っていいか分からずに悶々としている,という絵は昭和的な香りがして,おそらくイマドキの令和の若者であれば,こういうとき,早々に諦観して守りに入り,仙人みたく悟るんだろうなぁと感じています。
しかし一方で,電話口で相手をボロカスに脅して文句を言って一時的にスカッとしている姿は,今だったらネット上で匿名で悪口や差別的なことを書いてスカッとしている人たちに重なります。いつの時代も同じと言えば同じか。
でもね,この吉岡もね,最後,ガス会社に「ガスタンク爆破するぞ!コノヤロー!」って脅迫電話をかけていきがってるんだけど,そんなことをしてる自分,言ったところで爆破なんかできない自分,何も変えられない自分がだんだん情けなくなってきて,最後は部屋で泣き崩れるだよね。そうなんだよなぁ。結局,悪口並べてうっぷん晴らしたところで,何にも変わらないし,何にも生まれないだよね。
★★★
まぁしかし,いろんなところで何度も書いていますが,武道は試合(での勝ち負け)が目的ではありません。もし試合での勝ち負けを目的にしてしまったら,その瞬間に「スポーツ」となってしまいます。武道は,スポーツ的要素もありますが,やはり,スポーツではありません。勝ち負けを目的としていません。だから,勝とうが負けようがどうでも良いのです。
ただ,勝つ,ということは日頃の稽古の中身が間違いではなかった,ということの一つの証であり,当然,武道愛好家としてその証を1つでも2つでもいただけるのはありがたい。負けたら負けたで,日ごろの稽古が足りなかったのだ,どこかに間違いがあるのだと反省し,工夫を重ねて,また稽古に打ち込めば良い。だから,できる限り,日ごろの稽古を丹念に丁寧に誠実に十分に行って試合に臨むことが望ましい。
つまり,年に一度の大会(試合)に出ることを毎年の「目標」(「目的」ではない)として,1年間の稽古をしっかりと行う。武道は,稽古が主で試合が従,とはそういう意味です。メインは稽古なのです。いかに稽古を充実させるかの一つの目安,手がかり,区切りとして大会があるということです。
ここんところは,すぐに本末転倒しやすいので,武道をしている人は気を付けた方が良い。気が付くとつい,「目標」にしている試合が「目的」化してしまい,普段の稽古を「目的」を達成するための「手段」とみなしてしまいがちです。これは大いなる間違い。そういう意味では,武道の目的はあくまで「稽古」であり,その稽古を充実させるための手段が「試合」です。
Y君とK君は,試合に出るからにはと(いつもよりも気を入れて)稽古に励んだために,やっぱり,見違えるように上手くなりました。試合には,そういう効果があるので,出られるなら出た方が良いし,出るからには稽古をする。その方が,稽古も試合もより一層,面白くなります。でも,結果(勝ち負け)は関係ありません。武道稽古は,楽しくなくてはいけませんから。
逆に言えば,ほとんど稽古もしないで単に試合にだけ出るのは無意味な気がします。なぜなら,出る理由がよく分からないからです。稽古もせず,試合にも負ける。当然です。一体,何が楽しいのか。一方,試合に出なくても充実した稽古ができている(稽古が楽しい)と思っている人は,あえて試合に出なくてもまったく問題ありません。主(=目的)は稽古であり,あくまで試合は従(=手段)だからです。
別な面で言えば,試合をしに同じ愛好家が一堂に集まる大会は,ハレの場であり,お祭りです。普段はいつもの仲間内だけで稽古をしていますが,この時ばかりは,いろんなところからいろんな人が集まって,互いに技を演武して,日ごろの稽古の成果を出し合います。
高段者の技を見て,また,段位に関わらず上手な人の技を見て,こうやってやるのか,ああするのかと,いろいろ勉強になります。多くの人が見ている中で,緊張しながら演武をするというのも,自分の技を磨く上で良い経験になります。ここのところが上手く行かなかったな,もっと稽古しよう,そんな風に感じれば,ますます稽古は楽しくなります。
愛好会の学生が,大会を通じて,こういういろんな経験を楽しんでもらえれば一番良いなと思っています。
まぁしかし,人それぞれ,武道の楽しみ方というのはあるので,これは正しい,あれは間違っている,というのはないわけですが,しかし,どうせやるならばこうある方が良いのではないかという理想は私なりにあるので,それに倣うかどうかはともかく,そういう私なりの理想を学生には提案していきたいなと思っています。
(原題:Brightburn)(アメリカ,2019)
また見てしまった。やっぱり面白いわ。
『オーメン:ザ・ファースト』見てて,続編もあるんじゃないかと考えてたら,この映画を思い出して,また見ました。特別な力を持つ子ども。力の使いようによってはとんでもないことに。
改めて見て,何が怖いかって,この主人公のブランドン・ブライアを演じているジャクソン・A・ダンです。無垢で綺麗な色白の顔して,でも暗い陰りもあって,表情や感情表出も少ない。大人びているようで子供臭い。最後の場面,旅客機を自宅の農場に墜落させた事故現場で,救急車のハッチバックに座って(たぶん,警察官か消防士にもらった)クッキーを平然ともぐもぐ食ってる姿がものすごく怖い。
★★★★
(原題:The First Omen)(アメリカ,2024)
ダミアンが生まれるまで。
オーメンシリーズは全4作(他,リメイク作品1作)。2作目以降は見てないと思います。リメイク版は見ました。666は悪魔の数字。
ところで,本作,あわよくばダミアンとの戦いを描く続編,狙ってるね~。商売上手だよね~。リリースされたら,見ちゃうだろうな。
★★★
おかげさまで,今年の東京都大会,「三段の部」で優勝することができました。写真は,ペアを組んだ服部明さん(杖心会)と杖道部会会長・小林正明先生(左),それから私の師匠の藤崎興朗先生(右)です。
また,今大会から,団体戦も導入されました。「白鴎大学杖道会」として大学の愛好会の学生とともに出場しましたが,惜しくも緒戦敗退。来年の都大会も,なんとか大学として出場できたらなぁ,と願っています。
先鋒は教育学部4年生のY君,中堅は教育学部卒業生のK君,大将には北区剣道連盟杖道部会の南毅さんに助っ人に入ってもらって,私が打太刀兼監督。先鋒は1~3本目(着杖,水月,引提),中堅は4~6本目(斜面,左貫,物見),大将は7~9本目(霞,太刀落,雷打)を演武。なんとか大将の南さんが勝って1ー2でした。(下の写真は,Y君の3本目・引提の場面)
Y君とK君は団体戦では残念でしたが,しかし,この団体戦の後の個人戦で,初段の部に出場し,なんと3回戦(準決勝)まで進出しました!あと一つ勝てば決勝戦!惜しかった~。でも本当によく頑張りました。
京極夏彦 2024 角川書店
やっと買って読めました。なんたって4400円だもんね(笑)。京極ファンなら新刊即買いして読めよ,というところですが,すみません,ようやっと,ちょっと安く,中古で買って読みました。圧巻の厚さ5.5センチ!!
今回の中心軸となる新しいキャラクターは,嘘か真かを見破る「洞観屋」稲荷藤兵衛。これに,御行の又市とその仲間たち,そして中禅寺秋彦の曽祖父である「陰陽師」中禪寺洲齋。
洲齋は,歌舞伎とのコラボ「狐花」の主人公。去年,歌舞伎座に観に行ったぜ~。
(原題:Get Out)(アメリカ,2017)
久しぶりにまた観ました。あれ?エンディング,変わってるぞ。それに,全体に細かいところをかなり編集し直してるよね。
前に観た時は,最後にパトカーでやってくる警官は白人。ああ,終わった。最悪のバッドエンドです。で,今回観たバージョンだと,やってくるのは航空警察のパトカーに乗った友人のロッド。ああ,良かった。ハッピーエンド。個人的には今回の方が好きかなぁ。バッドエンドの方は,もう,救われないもんなぁ。
でも,アーミテージ家の使用人のジョージナ(ベッティ・ガブリエル)のセリフが減ってたかも。前の方は,もっと尺が長くて,何かをセリフで訴えてたような気がしましたが,気のせいか。あのシーンがすごく印象に残ってて怖かったから,もしカットしてたら,カットしなくても良かったんじゃないかなぁ。
他には例えば,クリスが,パーティにいた若い黒人男性の握手の仕方が違う,ブラザーはあんな風には握手しないから怪しいとか何とか,そういうことをロッドに電話で話してた気がするけど,そんなセリフはなかったし。
そう思うと,以前のオリジナルバージョンの方が不気味でおぞましいインパクトはあったか。
★★★★
(原題:Devil’s Gate)(アメリカ/カナダ,2017)
まぁまぁ面白かったですよ。アマプラの評価が低いもんだから,さてどんなもんだろうと思って観てみましたが,けっこう面白かったです。設定もなかなか。
荒野のど真ん中にポツンと立つ,荒れ果てた農家。そこでは,地下に何かを監禁している一人の男がいた。彼は,妻と子の失踪事件の容疑があり,FBI捜査官がやってくる。
★★★
チェ・テソプ(著)小山内園子・すんみ(訳) 2024 みすず書房
これは名著でしょう!!
韓国の男性(性)問題に限らず,おそらく,日本も,また,アメリカなんかも,これと類似した状況になっていると思われます。だからこれは,単に,現代韓国社会の問題を理解するためだけではなく,全世界的な規模での,それも,ジェンダーの問題に限らず,ポピュリズムや極右の台頭,移民排斥,非グローバリズムなどあらゆる社会問題・政治問題を紐解く鍵となる,極めて汎用性の高い分析になっています。
しかも,訳が非常に読みやすい。まったくストレスなく読めます。これは,原著そのものが読みやすいのもあると思いますが,やはり,翻訳者の力によるところも大きいと思います。
最近読んだ中で,これは現代を読み解く上での必読書だと思ったのは,エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』ですが,この『韓国,男子』もそれに匹敵するぐらい,ほほう,なるほど,そういうことか,ふむふむ,と思える一冊です。腑に落ちる一冊。だから絶対に読むべき一冊。
(原題:28 Days Later...)(イギリス/アメリカ/オランダ,2002)
久しぶりにまた観ました。この次の『28週後...』(2007)に続き,続編の『28年後...』が6/20に公開されるということで,また観ました。やっぱ,よくできてるわ。全速力で走る感染者(ゾンビではない)。最初に見た時の衝撃はすごかったけど,再度見ても,全体に間延びしていない展開で,飽きさせない。
有名な,最初の,誰もいないロンドンの街。あっという間に感染するウィルス。真っ赤な目をした感染者が走ってくる恐怖。逃げ延びて立てこもる軍人たちの狂気。
しかし,これ,2002年公開だったのかぁ。今から20年以上前。もうそんなに経ったのね。ちなみに,今見ると映像が全体に粗いのは,これ,わざとだろうなぁ。以前に見た時はそんなに感じなかったけど,この粗い感じがまた,良い味を出してます。
★★★★
廣田龍平 2024 ハヤカワ新書
これは面白かった。ときどき映画化される元ネタはこれか,というのがいくつかありました。ネット上で語られる怪談や都市伝説がどのように構築されていくか,あるいは,元々は作者のいるホラーが時を経てどのように怪談や都市伝説になっていくかが,よく分かりました。読んでいて飽きない。ま,そもそもこういう話,好きだからね。
(原題:Gonjiam: Haunted Asylum)(韓国,2018)
今ちょうど,『ネット怪談の民俗学』(廣田龍平)を読んでいて,なんとなく,また観てしまった。やっぱこえ~。
こういう,心霊スポット行ってみた的なのって,「オステンション」って言うのね(上記『ネット怪談の民俗学』参照)。でも,ホント,マジで,止めといた方が良いよね~(笑)。えらい目に遭うからね~。やろうと思ってる人,まずはこの映画を観てから考えようね。
★★★★
平尾昌宏 2019 晶文社
倫理学はどう「使う」のかを,分かりやすく,平易な(フランクな?)文章で解説した良書。多くの場合,倫理学の本というと,ものすごく細かいところをものすごく難しい言葉でものすごく厳密に議論してたりして,専門書にしても一般書にしても,しばしば消化不良を起こしますが,この本はまったくそんなことはありません。タイトル通り。
著者の平尾先生が今まで大学で倫理学の講義をしてきて,授業中に学生に賛否や意見を尋ねたり,学生がリアクションペーパーに書いてきたりしたことをときどき紹介しながら,疑問や反論を展開しているところなども,実際に平尾先生の倫理学の授業を受けているような感じもあって,非常に良かったです。こういう授業をする先生って,良いよね。
(原題:Absolutely Anything)(イギリス,2015)
なかなか面白かったわ~。
宇宙を支配するエイリアン(←凶悪そうな4匹)が,1972年に打ち上げられた宇宙探査船パイオニア10号を拾った。さて,この地球なる星をどうするか。地球人が「優秀」な種族でなければ地球丸ごと破壊するが,優秀な種族かどうかは「善」なる種族かどうかで決まることが宇宙の法律で決まっている。ルールに則り,地球人を一人,無作為に選び,10日間,全能の力を与える。この10日間の行動が審査対象となる。
でもって,たまたま選ばれたのが,冴えない高校教師ニール(中年)。自分には何でも叶える力が備わっていることに気づき,さてどうしたものかとあれこれ考えながら,どうでも良いことを実現したり,実現してみては(うまく行かないから)やっぱりキャンセルしたり。果たして地球の運命はいかに!
★★★
(原題:Night Raiders)(カナダ/ニュージーランド,2021)
いやぁ,邦題が悪いよ(笑)。なんのひねりもない,そのまんまのタイトルだもんね。内容をストレートに表現するのも良いけど,ひねろうよ少しは(笑)。確かに近未来のディストピア映画で,とある能力が鍵になるわけだけど,もちっと良いネーミングはなかったかなぁ。例えば,主人公の名前で「ニスカ」とかでも良いよ。先住民のお告げとしての「守護者」でも良いよ。でもそれだと客が何だか分からなくて観てくれないから,これか。でも,この陳腐なタイトルより,全然良いんじゃないかなぁ。原題のNight Raidersも,映画の内容とどう関係してるのか分かんないけどね。「夜の侵入者たち」?うううむ。確かに,子どもたちを奪還するために,夜に侵入するけどね。
世界大戦後の近未来。子どもはすべて政府の所有物として徴集され,徹底した洗脳教育を受け,兵士になる訓練を受けさせられる。常にドローンが飛んでいて,子どもを隠していないか監視している。特権的な市民だけが住むことのできるエリアとそうでないエリアは,高い塀で隔てられている。中でも優秀な子どもは,その特別なエリアでさらなる教育を受けることになる。
しかし,この話,根本的におかしい。子どもをかき集めてすべて兵士にしてしまったら,やがてその国は滅びてしまうと思うんだけど,その辺は全く説明されてません。大人たちのエゴのために,子どもを国粋主義に教育することは理解できますが,人間はどんどん年を取るし,子どもはすぐに大人になるし,子どもがいなくなれば次の世代の子どもは生まれてこないし,さて,この国はいったいどうやって成り立っているのか,分かりません。国が国として存続するには,さらには高度な文明を維持して存続できる背景には,基礎となる第一次産業や第二次産業の生産と流通と消費を回す経済的な営みが必要であり,市民の大多数はそれを担う必要があるわけで,生まれてくる子どもを片っ端から兵士にしたら,そりゃ,軍事力は一時的に上がるかもしれないけれど,やがて滅ぶよね(笑)。子どもや若者がみな戦争に行ってしまったら,老人だけが残って,国としては存続しないのではないだろうか。
なので,話としては大したことはないけれど,一応,最後はどうなるのか(どういうオチなのか)気になったので,最後まで観ました。親子愛とか先住民のお告げとか,テーマもちんまりとそれなりにあって,まったくの愚作・駄作というわけではないから,何かもっと良い邦題を付けてあげたいよね。
★★
一穂ミチ 2023 光文社
第171回直木賞。これは非常に良かった。大いにお奨めします。コロナ禍に直接間接に関わる短編が6編。出版社のポスターには,「鮮烈なる犯罪小説集」って書いてあるけど,コロナ禍でとんでもない犯罪に手を染めるとか,そういう,人間の根源的な悪に迫る犯罪小説!とかではありません(最初,そういうのかと思ってました)。
未知のウイルスが蔓延して,世界中が右往左往して閉塞感で苛まれる中,人間の本性みたいなものがじわじわと表に出てきて,人と人の間をギクシャクさせる,それが人を追い込んでいく,そんな話が6つ(ただ,最初の1つ目はコロナそのものは直接関係ないけど)。短編が6つ並んでいるわけですが,相互に関係はなく,しかし,時間軸としては,パンデミックの初期から後期へと進んでいく感じ。
どの話も読んでいて息苦しいんだけれど,そんな中で一筋の光というか,救いみたいなものはあって,そんなささやかな希望というか支えを抱いても良いじゃないか,そういう話が6つです(まぁ,必ずしも物語の登場人物が救われてはいない話もありますが,物語をメタに眺める読者としては救いを感じます)。だから,全体的に読後の気分は悪くない。どれもハッピーでお気楽な話ではないけれど,少しだけホッとします(あいや,しかし,救いのない話もあるか・・・。いや,そうではなくて,6話の構成として,だんだん救いのある話になっていってるのか)。