2019年10月5日

月刊「武道」10月号

9月28日発売の月刊「武道」10月号に,私の記事が載っています。「形をならふといふは,自己をならふなり」というタイトルです。巻末の方に載ってます。

興味関心のある方は,お読みいただければありがたいです。


https://www.nipponbudokan.or.jp/shupan/budou


2019年10月1日

ヨガをする

最近,ヨガに凝っています。

ヨガも,武術と同じで,教える先生によって全然違う。それはヨガの種類(流派)というのもありますが,そもそも,その人がヨガをどのようなものとして捉えているか,ヨガというものをどのくらい分かっているか,によって違います。必ずしもその先生の経験年数とは比例していません。

ヨガという営みを,外面的な形(ポーズや筋肉の動き,ストレッチング効果など)や小道具(ファッションや音楽など)やただマントラを唱えたりすることに求めるか,あるいは,もっと内的な瞑想性に求めるかで,似たようなことをしていても随分違います。

やっぱり,瞑想性求めてこそ,つまり,内面への気づきや自己(の身体)との対話に求めてこそ,ヨガだと思う。と思っているので,必然,そういうタイプの先生のところに通うようになります。先生によっては,ほとんどフィットネス(エクササイズ)と同質だったり,あるいは単に「ヨガっぽさ」のようなファッション的なものが前面に出ていたりすると,うううん,ちょっと違うんだよな~,と感じます。

瞑想性は,単に形(外面)だけからは,入れません。内面的なことなので,手を変え品を変えて,ある程度は言葉でしつこく説明しないと分からないからです。

でもそれも,別に,何か「ねばならない」があるわけではなく,結局は,好みですね。というか,人生はすべて好みで良い。その人が良ければそれで良い。もちろん,私が良いと思うものは良いよと伝えるけれども,それでなければならないとは思いません。

なので,人それぞれ好きなヨガを。好きな武術を。それがベストです。

それにしても,ハタヨガの,なかなか身体的にハードな(特に天地がひっくり返るような)ポーズは,個人的にはキツい。太陽礼拝は気持ちが良いけれど。だから本来,陰ヨガのような緩い方が,自分には合っているように思います。