2015年4月27日

年齢と意識

今日,うちの大学の,とある1年生の学生と会いました。4月に入学したばかりの新入生です。なお,学類は心理ではありません。

彼は,古武術研究家の甲野善紀先生のご子息である,甲野陽紀先生に,高校の3年間,古武術の身体操法を学んだそうで,実家を離れて大学に来たので,引き続きどこかで身体的な稽古を続けられないかと,いろいろ模索してきたそうです。

なぜ僕のところに来たかというと,ありがたいことに,高校の時,拙著『空手と禅』を読んでくれたそうで,それを頼りに訪れた,ということです。

こうして身体の微妙な感覚に意識を向ける,そういう術に興味を持つというのは,一般的な傾向としては年齢と比例している,つまり,年齢とともに興味関心が高まるので,若ければそういう武術的身体の,特にその微妙な差異や変化に興味なんて持たないものだとばかり思って半ば諦めていました。しかし今回,彼と会って,若くても分かる人はいるのだということが分かりました。

彼には是非,自ら同好会(サークル,研究会)を立ち上げてもらって,こういう,身体の術への興味関心を潜在的に持つ若い人たちへ,門戸を開くというか,受け皿になるというか,きっかけを与えるというか,そういう存在になってもらいたいと,心より願っています。

僕も是非,同好会が立ち上がったら,習いに行こう。同好会には顧問が必要だから,僕がいつでも顧問になります。

もし興味関心のある方がいれば,とりあえず,湯川までご連絡ください。

2015年4月19日

剛と柔2

たぶんティク・ナット・ハン師が本(『ブッダの幸せの瞑想』サンガ)で書いていたエピソードだと思う(バンテ・グナラタナ師だったかな,失念しました。まぁいいや)。

いつも通る道にある家のご主人,とても気難しい人物らしく,師がそこ(師にとって外国の地)に越してきて数年間,道で会っても無愛想にしかめっ面のまま挨拶さえもしなかったそうです。自分(師)が外国人だからかとも最初は思ったけれど,まぁとにかく,それでも会う度に笑顔で接したそうです。

すると数年後,目配せを返すようになり,こくりとうなずくようになり,笑顔を見せるようになり,やがて挨拶するようになり,とうとう会話をするようになり,身の上話までするようになった,という話。細部は違ったかもしれないけれど,だいたいそういう話です。(どうも,そのご主人,数年前に大病を患って,身体も心もふさいでいた,というのが理由だったような。たしか)

相手が固いからと言って,こちらも固く接してしまえば,もうそれで終わりになってしまいます。もちろん,相手が接したくない風であれば,無理に接することはない。かといって,コミュニケーションの窓口を完全に閉じてしまうのも,関係がギスギスしてしまう。普段接するようであれば尚更です。

相手が固いと,こちらもどうしても固くなってしまいます。ついつい,剛に対して剛で接してしまうのです。ネガティビティにはネガティビティで反応してしまうわけです。

だからといって間を詰めて,無理に相手の窓を開こうとはせず,しかしそれでいてこちらの窓は開いておくのが,良いような気がする。つまり,剛の相手に対して,常にこちらは柔でいること。押すわけでも引くわけでもなく,そこに柔らかくある。

固くあること,剛でいることは,えてして疲れます。きっとエナジーを過度に消費するんだと思います。過度に陽な状態ということです。そうではなく,エナジーを浪費せず,節約すること。save energy。Pang先生がそう言っていたとSteveが言っていました。そのSteveは,conserveって動詞をよく使って説明していました。貯蔵して保存して節約して大事に使え,ってことだと思います。

評価や価値に囚われることなく,そこに柔であることに,そんなにエナジーは必要ありません。ふわりと柔らかく。押すでもなく引くでもなく。

2015年4月9日

板間とカーペット

板間あるいはリノリウムの床に慣れてるせいか,どうも,カーペット(じゅうたん)敷きの床の上で裸足で稽古すると,重心のバランスを保とうと,妙なところに力が入り,足が攣りそうになる。

家のフローリングの床や,柏道場でのリノリウムの床では攣りそうになることはないのに,どうしてカーペット敷きのところだと稽古をしているうちに1時間もすると足の裏が攣りそうになるのか,不思議に思っていたのですが,どうもその足の裏の滑りを微妙に調整しているのがその原因だということが,何となく分かってきました。

カーペットの毛によるわずかな厚みのせいで,足の裏がわずかに「いざる」ので,これを正そうと,あるいはそれ以上いざらないようにしようと,変に踏ん張っているのだということです。必要のないところに力を使っている,ということです。

これはいけない。カーペットや絨毯の上では,靴を履いてやった方がよいかもしれない。

2015年4月2日

剛と柔

昨日,柔らかく,マインドフルに柔らかくを意識して接したら,面倒だ(やりにくい)と評判の人と,非常にスムースにやりとりができました。結果,気持ちよく目標を達成することができました。

柔らかさは,たぶん,伝染する。相手に伝染する。

もちろん,伝染しない人もいるだろうけれど,少なくとも,自分が柔らかくなることで,まずその人の言動を柔らかく捉えることができるようになる。そうすると自分にとっては好都合に事が進むので,ますます柔らかくなる。すると相手もますます柔らかくなる。

逆も真なり。

固くすれば,相手も固くなる。剛の相手に剛で攻めれば,相手が達人でない限り,きっとまた剛で返してくることになる。

相手が剛なら,こちらは柔で。徹底的に柔で。すると相手はそのうち柔になる。かもしれない。

少なくとも,剛に対して柔を貫くことは,状況を悪化させない最低限のアプローチでしょう。相手が剛を放ちたくて,無意識のうちにトラップを仕掛けている可能性もある。意地の悪い人というのはいます。もしそのトラップに引っ掛かってこちらが剛で攻めようのもなら,その相手が剛で返すきっかけを与えてしまうことになる。

だから,とにかく,柔を通すことが,いずれの場合においても,絶対的な正解なのである。