2021年7月31日

ジョーカー

(原題:Joker)(アメリカ,2019)

第79回ベネチア国際映画祭金獅子賞。第92回アカデミー賞主演男優賞・作曲賞。いつかコメディアンになることを夢見る中年男アーサー(ホアキン・フェニックス)は,クラウン(ピエロ)のアルバイトで日銭を稼ぎ,病弱な母と二人で暮らしている。テレビでは大好きな人気番組「マレー・フランクリン・ショー」が今日もやっている。

アーサーは(脳の機能障害で,おそらくストレスがかかると)本人の意図に反して突然笑い出して止まらなくなるという発作があり,そのためにたびたびトラブルに巻き込まれる。何種類も薬を処方されているが,行政の予算削減から福祉的な支援も打ち切られる。生活はいっぱいいっぱいで,身も心もボロボロだ。人生は悲劇(tragedy)か喜劇(comedy)か...。ある日,芸人仲間から「護身用だ」と拳銃を手渡される。これがアーサーの人生を大きく変えるきっかけとなる。

アーサーの,発作の時の痙攣的な笑い。誤字だらけの折れ曲がったネタ帳。ひっきりなしに吸っているタバコ。くすんだ色の服。骨の浮き出た痩せこけた身体。いつも左肩が前に出ている。狂気と退廃で満ちたアンバランス。しかしジョーカーとなったアーサーは,原色のスーツに身を包み,颯爽と背筋を伸ばし,身体のバランスを取り戻して,軽やかに舞う。笑いももはや発作的ではない。

評判通り,良い映画でした。もう一度観たくなる映画です。

★★★★


2021年7月30日

レッド・プラネット

(原題:Red Planet)(アメリカ,2000)

2050年,地球は環境汚染でまもなく住めなくなるので,人類は火星に移住するために,火星の地球化を進めていた。火星の極地の氷河を破壊して二酸化炭素を発生させ,同時に藻類を送り,その二酸化炭素でもって酸素を発生させるという計画である。順調に藻類は増え,酸素レベルも上がっていたが,突然下がり始めた。これを調査すべく,人類の未来をかけて,科学者グループが宇宙船「マーズ1」に搭乗して火星探査に出発する。

「レッド・プラネット」つまり赤い惑星とは火星の通称ですね。赤く見えるのは地表面の酸化鉄のせいで,実際に火星の北極のクレーターに氷の湖があるようです。ちなみに,漢字の「火星」という呼び方は,五行説(世界は木火土金水の五要素からなるとする東洋思想)から来ているそうです。赤いから火を連想したのでしょう。

実はこれ,鑑賞は二度目でした。以前,どこかで見たのですが,見たことを忘れていて見始めたところ,見たことに気がつきました。そういうのはときどきありますね。同じタイトルから惹かれるのは,昔も今も自分があまり変わっていない証拠でしょうか。

この映画はいわゆる「テラ・フォーミング」の話です。テラ・フォーミングといえば,漫画原作の邦画『テラ・フォーマーズ』がありますね。アニメやゲームにも展開しているメディア・ミックスの人気作品です。テラ・フォーマーズも火星は(予想を遙かに超えて)とんでもない状況になってたわけですが,『レッド・プラネット』も,計画通り藻類が全然増えていないカラッカラの赤い土ばかりで全く地球化していない火星で途方に暮れます。

★★


2021年7月26日

犬鳴村

(日本,2019)

清水崇監督の,2年前にかなり話題になった作品。いつか観たいなと思っていて,ようやくAmazon Primeで観ることができました。

犬鳴村。それは,地図に載っていない村。日本国憲法が通じない村。犬鳴トンネルから通じている心霊スポットだが,実際,どこにあるのか分からない。物語は,そこに通じるトンネルを発見して犬鳴村に辿り着いてしまった心霊YouTuberな女子とその彼氏の異変から始まる。

村の入口に立つ「この先,日本国憲法通用せず」という看板が立っているとされる犬鳴村は,日本地図からは抹消されていて,携帯電話の電波は圏外。村に入れば凶悪な村人たちに襲われるという,福岡県犬鳴峠周辺にまつわる都市伝説。福岡県宮若市犬鳴には,犬鳴川の上流に実際に「犬鳴ダム」がある。映画「犬鳴村」の物語は,このダムとも無関係ではない。

「この先,日本国憲法通用せず」とか「地図に載っていない」とかは,グッと来る設定。でもそれはそもそもの元ネタの都市伝説の方のコンセプトです。映画として,ホラーとして,果たして秀逸かというと,物語に怖さや緊迫感やキモが冷える感じはあんまりない。これはもう,好き好きなので,人によって評価は全然違うでしょう。最近観た心霊映画でいえば,洋画の『ポゼッション』の方が恐かった。Jホラーといえば,『リング』が良すぎたのかね。なんとなくそれの反復な気がしてなりません。といっても,そんなにJホラーをよく観て研究しているわけではないですから,あんまり偉そうなことを書いてはいけませんね。きっと好き嫌いだと思います。

しかし,やっぱり,前にも書きましたが,邦画は俳優がバラエティとかCMとかに出ているのを観ているせいで,どうにもやっぱり感情移入できません。「演技している感」が先に立ってしまう。子役の演技も微妙でした。そうは言いながら,清水崇監督作品『樹海村』は観てみたい。

★★


2021年7月15日

現代「只管打坐」講義

藤田一照 2020 佼成出版社

藤田師が曹洞宗永平寺の寺報である月刊『傘松』に連載していた,座禅に関するエッセイ『「只管打坐」雑考』(全60回)を一冊の本にまとめたものです。なので,何かについて系統的に書き下ろしたものではなく,藤田師本人も書いておられるように,その都度その都度(原稿の〆切の都度),考えていることを綴ったもの,ということになっています。ただ,そうは言いながらも,書きたいことは数ヶ月に渡って書いているという具合に,それなりにまとまりがあります。

最後の回(第60回目)で著者自ら,自分が書きたかったことの柱をまとめていますので,それはそれで読んでいただくとして,私が読んで思ったのは,やはり,『現代坐禅講義』のときからそうですが,一貫して身体から入る,身体から読み解く,身体で練る坐禅の話であり,その意味で非常に興味深く面白く読めました。

身体論としても坐禅論としても仏教論としても,藤田師の話は前から好きでよく読んでいますので(要するに藤田一照ファンなので),本書も基本的な立ち位置や主張はこれまでと変わらないのですが,今回読んで一番心に残っているのは,「帰家穏坐」という言葉です。

「帰家穏坐」は坐禅のこと,つまり,坐禅の別名だということです。きっと前から書いていることなんだと思うんですが,今までそんなに引っかかることはありませんでした。しかし,今回読んでいて,この言葉が一番心にじんわり来ました。本や言葉や教えというのは,読む側聞く側に準備ができていないと染み込まないというか,チューンが合わないと伝わらないわけですが,私にとって今ようやく,「帰家穏坐」という言葉がスウーッと身に浸みた,ということです。ああそうだ,坐るって,そういう感じか,そうかそういう感じだよね,うんそうそうそういう感じだ,と。

坐禅というのは,家に帰って穏やかに坐ること,なのです。もちろん,ただ物理的に自分の所有している建物に帰って,そこでただ物理的に坐る,ということではありません。坐禅というのは苦行でも義務でも心のトレーニングでもなく,あたかも一番くつろげる自分の家に戻って,そこでゆったり安心して心地よく坐るようなものなのだ,ということでしょう(私の言葉が足らないので,適切に表現できていないかもしれませんから,藤田師の考えを適切に理解していただくためにも,興味関心のある方は本書を読んでください)。

私は原則毎朝,15分間坐るというのを続けてかれこれ15年ほど経ちますが,ついつい義務的になったりトレーニング的に頑張ったりしてしまいがちです。藤田師の本を読んだり,禅の本を読んだりしてはハタと我に返って肩肘張らないゆったりした自然な坐りに一時的になるのですが,繰り返している内にまた力を込めたり我慢したりするようになってしまいます。そういうときは,面倒だな,早く終わりにしたいな,次のことがやりたいな,と思うわけですが,それこそもったいない時間です。坐禅は,本来,やれば安らぐものだし,実際,ホッとする時間なわけです。

そう思って坐ると,本当に安らぐ。何も「安らごう」としなくても,坐禅ってそういうものだと思って力を抜いて坐れば,15分間はあっという間,なんとも落ち着くホッとする時間になります。でも人間,だんだんとそんなことを忘れてつい,力みはじめ,力み始めると早く終わらせたくなる。なんともせわしない動物です。

そんなことを思うきっかけになって,また坐禅を続けたくなるので,ときどき,藤田師の本や禅の本は,読むべきですね。ハタと我に返るために読む。気づくために読む。だから,ときどきこうして藤田師の本が出るのは,私としては本当にありがたいです。


2021年7月13日

マン・オブ・スティール

(原題:Man of Steel)(アメリカ,2013)

クリプトン星から一人地球に送られてきたクリプトン人の赤ん坊が「スーパーマン」になるまでのビルドゥングスロマン。クリストファー・ノーラン制作・原案,ザック・スナイダー監督。

クラーク・ケントは,超絶的な聴力・視力・筋力など超人的な能力を持っているが,それをひた隠しにしている。父親から「今はその力を見せるべきではない」と諭されてきたからだ。普通の人とは違うクラークは自分の力を呪い悩むが,助けが必要な人がいると放っておけず,つい,力を使ってしまうのだった。当然,力を垣間見せてしまう度に,怪しまれてしまうクラークは,居場所を転々とする放浪生活を送っていた。

そんな中,北極圏に謎の物体が埋まっていることを知り,探りに行くと,それは巨大な宇宙船(かつてクリプトン人が宇宙中に送り込んだ探査船の一つ)であり,本当の父ジョー=エルの意識体と再会し,超人的な能力を持つ自分の出生の秘密をようやく知ることができたのだった。

単なるヒーローの活躍をひたすらCG満載で観るよりも,こういう,面倒くさいこんがらがった青春を解きほぐしていくような,ちょっと青臭くて痛いヒーロー映画の方が人間的で面白い。欲を言えば,もっとこんがらからせても良かった。

ちなみに,アメコミ映画ファンの人は当然知ってることなんだろうけど(私は「ファン」というほどではないです),クラーク・ケントを演じているヘンリー・カヴィル版のスーパーマンはその後,ジャスティス・リーグに参戦してシリーズ化してるわけですね(2016,2017,2021)。それは良かった。マッチョぶりや四角い顔は,「鋼鉄の男」っぷりがよく出ていて,ピッタリだと思います。

★★★