2021年2月23日

極道大戦争

(日本,2015)

くだらね~(笑)。観なくても良かった。でも観てしまった。


来る

(日本,2018)

ホラー映画であることはタイトルや予告編から分かりますが,最初,延々と新婚夫婦の上滑りした感じ,特にイクメンを気取る夫(妻夫木聡)のゲスっぷりをこれでもかと描くところが,もう,見ていて吐き気がするので,途中で一度観るのを止めたぐらい,とにかくゲスです。

でも,気を取り直してもう一度見始めました。要するにこのゲスっぷりがこの映画のキモなわけで,ここでとにかく思い切りゲスに描くことで後半の展開に持っていくのでした。いやぁ,妻夫木聡,演技すごいわ。ものすご~く嫌なヤツなんだけど,でも,あり得ないぐらいデフォルメはしてなくて,いるよなこういうヤツ,という現実的な範疇に収めてるところが凄い。

終始ゴア表現の凄惨な感じと,そこに民俗風味を交えて,妖怪とか神とか呪いとか霊とか,そういうのを退治するユタ(松たか子)が登場して,バトルが繰り広げられます。人と話をつなく役として,ライター(岡田准一)がキーマンとして出てきます。心が変化するのはこのライターですから,一応,主人公だと思います。

まぁ面白かったです。ところで育児は大変です。だからあんまり人目を気にして気取らない方が良いです。ありのままに。

★★


2021年2月22日

トンビルオ!密林覇王伝説

(原題:Tombiruo)(マレーシア,2017)

シンプルに面白い映画でした。マレーシアの密林に一人で住む元軍人が,小舟に乗せられた赤ん坊を拾う。赤ん坊はジャングルの自然と一体化した超能力を持っている。自然が赤ん坊を守っているのだ。顔が醜いために麓の村人からは厭われ恐れられるので,木で作ったマスクで顔を隠している。長じて逞しい青年になり,育ての父とひっそりジャングルの奥で暮らしていた。

そうして暮らしていた二人の静寂を破ったのは,ダム建設を進める企業の策略で,麓の村が襲われたとき。義憤に駆られて飛び出した青年だが,父が銃に撃たれて死んでしまう。村人は彼を「トンビルオ」(森の守護神)と呼んだ。

マレーシアだから,武術は「シラット」ですね。アクションはシンプルだけどキレがあって良かった。やたらアクションにこだわってダラダラと見せるよりも,このぐらいでも十分な尺のアクションシーンです。主人公のトンビルオは,鍛え上げられた動物的なシルエットで素晴らしい。作中2回,腕と足を打たれる重症を負うのですが,ジャングルの自然が早々に治してしまいます。

シラットはいくつもの種類の短剣も使うようなのですが,トンビルオが使う剣はなんていう名前なんだろう?柄を持ってナイフとして使えるとし,トンファーみたいに鍔(つば)?の部分を持つ方法もあるみたい。カッコいい。なお,敵が足に忍ばせていた隠し武器は「カランピット」というやつでした。

しかし,切れたり打ったり撃たれたりして「血」を出す描写がちょっとリアルすぎ?マレーシア映画はこういうもんなのかね。

最後には,「続編」を匂わせるシーンもありました。次に期待。

★★★


2021年2月20日

スカイライン―奪還―

(原題:Beyond Skyline)(イギリス・中国・カナダ・インドネシア・シンガポール・アメリカ,2017)

というわけで早速「スカイライン―征服―」の続編「―奪還―」を観ました。しかし,これ,とにかくエイリアンとの戦いを見せたいだけの映画で,あらすじも何もほとんどありません。なんていうか,せっかく映像は結構良いと思うのに,なんでストーリーがこんな薄っぺらいのか,もったいない。

アイディアも悪くないと思うんですよね。宇宙人は「人間」の脳を欲しがっているわけです。それでもって,人間が増えた頃に「収穫」に来る,ということらしい。途中,ゲリラに雇われてる医師なのか薬剤師なのか分からないアメリカ人が,ちょっとした情報からその辺のカラクリを解き明かして開陳するんですが,本当ならかなり面白いバックグラウンドをいとも簡単に長台詞で説明しちゃうところがもったいない。人型の巨大怪物(造型はクトゥルフ的タコイカ怪物)は実はエイリアンたちのロボ兵器で,エイリアンが操っているロボットエイリアン(←人間の脳を使って操つられるロボ)が頭部に搭乗して操縦する,といったアイディアもグッと来るのに。もうここまで来たら,人類も同じ人型巨大兵器を作って(イェーガー!),エイリアンと戦えば良いのに。

「―征服―」は,そのスケールの大きさがなかなかインパクトがありましたが(インパクト勝負でストーリーは二の次でも許せました),「―奪還―」は(飽きて)後半眠くなりました。ストーリーがあまりに薄くて中途半端。まぁエイリアンやその宇宙船や兵器や着ぐるみなどのデザインと製作にほぼ全ての予算を掛けたんだろうなぁ。最後にはエイリアンが地上に降りてきてなぜか武器は使わずに人間と格闘戦をおっぱじめました。エイリアンが後ろ回し蹴り(ソバット)とかしてたぞ。うううむ,しかしこの光景は,日本人の我々には「仮面ライダー」にしか見えない・・・。

続編「スカイライン―逆襲―」(2020)は,もう見る気が起きません。


2021年2月19日

免疫力

「コロナに負けないよう,免疫力を付けましょう」

この1年,こういう言葉をよく耳にします。しかし,そうやってよく「免疫力を付ける」とテレビやラジオなんかで言う人や,「免疫力を高める」なんていう宣伝文句が書いてある商品や食品なんかを見かけるけれど,そもそも「免疫力」って何だ?

免疫力を付ける(上げる,高める)

 =免疫機能の働きを正常な状態にする

ということでしょうね。理屈から考えると,機能が正常に働いている限りそれをさらに高める,ということはないでしょうから(なぜなら,「正常な状態よりさらに高い状態」というのが,言葉の上ではあり得るけれど,実質的には「<より>正常な状態」というのはあり得ないから),やっぱり,それなりの状態を維持する,ということでしょう。

その上で,「付ける(上げる,高める)」と言うということは,普段我々は,正常な状態でないことが多い,ということになります。そうでなければ,「付けましょう(上げましょう,高めましょう)」という主張が当てはまらないから。

では,どういう場合に正常な状態でない(働きが鈍くなっている状態)かというと,良く言われるのが「生活習慣」と「ストレス」ですね。したがって,「生活習慣」を調えて,「ストレス」を避けたり低減したりすることが求められるわけです。私たち現代人は,生活習慣が乱れていて,ストレスに曝されている,ということです。

私の研究テーマは広い意味での感情制御だと思っていますが(狭い意味での感情制御研究はGrossとか鹿児島大学の榊原さんのような研究だとして),それは感情を制御してストレスフルな状態の長期化を抑える,つまり,ストレスの低減を志向した研究です。

つまり,免疫機能がストレスによって弱まっている(鈍っている)状態から,ストレスを低減することによって正常な状態へと戻すという方向性が,相対的に「上げる」「高める」と表現されるわけです。別の面で言えば,免疫系は自律神経系と内分泌系とも連動していますから,それらのバランスを調えましょうということになりますが,これらもストレスによって変動しますから,要は「ストレス」の低減が肝要,ということになります。

気になるのは,「免疫力を付ける(上げる,高める)」運動とか習慣とか食品とかですが,これらは要するに「生活習慣」を調える,ということなんでしょうね,きっと。生活習慣の乱れは免疫機能を低下させる,現代人は生活習慣が乱れている,したがって現代人の免疫機能は低い,ということです。だから生活習慣を調えて,免疫機能を正常な状態に戻しましょう,ということか。

つまり,適度な運動,バランスの取れた食事,十分な睡眠。そういうことですね。だとしたら,何も特別なことをしたりお金を掛けたりする必要は全くなく,そういう基本的なところを気をつけながら毎日を丁寧に過ごすことが,たぶん,「免疫力を付ける」ための最良で最短の道ということになるでしょう。つまり,

「コロナに負けないよう,毎日を丁寧に過ごしましょう」

ということね。納得。

なんとなく,「付けましょう」と言われると何か特別なことをしたりしないといけない気持ちになりますが(何かしていないと「付けていない」のではと感じてしまいますが),要は,基本的なところを丁寧にやればいいわけです。何かを<足し算>していくのではなくて,もうすでにやっている(やろうと思えばできる)ことを一日一日できるだけ丁寧にやっていく。そういうことですね,きっと。



スカイライン―征服―

(原題:Skyline)(アメリカ,2010)

ある晩,高層マンションで誕生日の宴の後。外にまばゆい光が差し込むと,それは宇宙人の地球征服の始まりだった。侵略モノとして,都市(舞台はLA)に次々と飛来する母船。タイトルの「スカイライン」は地平線って意味ですが,高層マンションの屋上から観る宇宙人の大侵略の様子を指してるのでしょう。

マンションの部屋から見ると,侵略者は次々と「地球人」を吸い上げている。母船から出てきた飛翔体は「地球人」を一人一人狙い,追いかけてくる。発光する青白い光を見ると,吸い寄せられていく。どうも「地球人」(人間)をかき集めているようだ。

圧倒的な力で侵略してきた宇宙人たちには,小型のイカ型?飛翔体と大型の人型?怪物がいて,どっちの動きも映像もリアルです。軍との戦闘もなかなかリアル。ビルを昇ってくる怪物の動きもリアル。プロットはほぼ無いに等しいですがエイリアン侵略パニックとして(90分だし)全く飽きずに観ることができました。しかし,とにかく宇宙人の方が兵力は格段に上で,しかも,なんと再生する能力もあるみたい。人類はほとんど反撃できません。嗚呼,これじゃかないっこないわ。

宇宙人の発する青い光に当てられると吸い寄せられるんですが,どうも途中で運良く光から脱出すると宇宙人の力と感応するのか,何かしら「力」を得るようです。これがどうも,続編の「スカイライン―奪還――」につながる要素なのかもしれない・・・。

続編はすぐに作られているわけではなくて,2017だから,随分時間が経ってからです。だからある意味楽しみです(果たしてどんな風に展開しているのか)。この「征服」は,最後はちょっと悲しい感じで終わります。

★★


2021年2月14日

レトリックと人生

 G.レイコフ・M.ジョンソン(著)渡部昇一・楠瀬淳三・下谷和幸(訳) 1986 大修館書店

ようやく読みました。認知言語学,特に認知意味論の原点の一つとなる名著です。

学問は常に新しくなっていきますから,この領域に興味があって色々勉強しようと思ったときに,やはり新しいものを読まないと,結局古い情報だと効率的ではありません。仮に2000年代の本を読んでも,それは2010年代になると様相が変わっていたり,すでに議論されていなかったり,なんてことはいくらでもあるからです。

もちろん定説のようなものだとか,古典の引用の仕方だとかはあまり変わらないのですが,定義だって変わるし,用語一つとっても研究が進むにつれて変化していきます。特に認知言語学はまだまだ新しい分野だと思うので,心理学のように「定説」だけ載っている教科書のようなもの(誰が書いても代わり映えのしないもの)はまだありません。だからこそ,なるべく新しい本を読むに越したことはないわけです。

特に僕のような門外漢(言語学の専門的な訓練を受けていなくて,独学で勉強している者)は,何が正しいか(古いか新しいか)に関する嗅覚が感覚的に備わっていませんから,単純に,その書籍・論文の刊行年で都度都度判断するしかありません。

そういう理由で,認知意味論の冒頭や要所で必ず出てくる”Metaphors We Live By”はいつか必ず読もうと思いつつ,後回しになっていました。しかし,ようやく今,読み終えました。

今から読めば,全体的には荒削りだけれども,その観点の新しさと意気込みの熱さが十分に伝わってくる力作です。以前は,ものすごく高度な言語学の専門書だと勝手に思い込んでいましたが,これ,普通の読者にも分かりやすく自分たちの(当時は)独自の主張を伝えようとする,とても良心的な読みやすい一般書でした。ただ,これは多くの人がすでに指摘していますが,『レトリックと人生』って日本語タイトルは,イマイチですね。せめて原題に近づけて『日常とメタファー』とかの方が良かったのではと思います。(実際,2013年に『メタファに満ちた日常世界』(松柏社)というタイトルで別の翻訳書が出ていますね)

訳書は,つくづく,訳者の翻訳力に依存すると思っています。恥ずかしながら私もこれまでに数冊翻訳書を出していますが,そのことをつくづく思いながら,つまり,なるべく読者に分かりやすいこなれた日本語にしようと思いながら,翻訳をしています。その点,本書はとても読みやすい日本語です。ひっかかるところはほとんどありませんでした。さすが言語学者の翻訳です(ただ,言語学者の文章でも,読みにくいものはありますけどね;笑)。

というわけで,認知言語学・認知意味論をやりたい人は,いつかは読んだ方が良い,メルクマールとなる名著です。