2021年11月29日

死霊館

(原題:The Conjuring)(アメリカ,2013)

「死霊館」としてシリーズ化するほどになる,その第一弾。怖いわ~,怖い。こりゃシリーズ化するわ。監督はジェームズ・ワン。本シリーズ(死霊館ユニバース)とか,「ソウ」シリーズとかもやってるわけね。と思ったら,「アクアマン」とか「ワイルド・スピード」とかもやってるのね。最近だと「モータル・コンバット」も。うううむ,幅が広い。

田舎の家に越してきた家族(夫婦と娘5人)に,奇っ怪な出来事が何度も起こる。妻は,超常的な事件を解決する心霊研究家(心霊探偵?)の夫婦(エドとロレインのウォーレン夫妻)になんとか頼み込んで,家を観てもらうことに。敵は悪魔なので目に見えないし,どこからいつ襲ってくるか分からない。ジワジワくるけど,やがて本性を見せてものすごいパワーで攻撃してくる。果たして,狙われた家族,そして心霊探偵の夫婦は,悪魔に勝てるのか。

原題のconjuringは,手品(師)とか魔術(師)って意味のようです。実話に基づくということで,最後に当時の家族や本物のウォーレン夫妻の写真や記事などが流れました。映画の中でもウォーレン夫妻が,聴衆から自分たちの肩書きを聞かれて,(字幕では)「悪魔の研究者」「幽霊ハンター」「心霊調査委員」あるいは「変人」「イカレポンチ」と自虐的に言っています。実話なのか作話なのか,虚構なのか現実なのか。なので,タイトルは皮肉でしょうね。

心霊ホラーとしても,映画としても,レベルが高いと思う。ホント怖い。2時間あっという間。

★★★


悪人伝

(原題:The Gangster, the Cop, the Devil)(韓国,2019)

マ・ドンソクがヤクザの親分扮し,正義感あふれる刑事と協力して,無差別連続殺人犯を追い詰める。マ・ドンソクのマッチョぶりも存分に活かされていて面白かった。敵役の連続殺人犯をもっと嫌なヤツに魅せても良かったかも。あと,「悪人伝」って日本語タイトル(ハングルもそういう意味なのかな)から,なんかものすご~く悪い人を演ずるのかと思ったら,そうでもなかった。

連続殺人犯の手口は,人気のない場所と通りで,運転する車をわざと追突させ,降りてきた相手をメッタ刺しするというもの。その日はたまたま,ヤクザの親分チャン・ドンス(マ・ドンソク)が狙われた。が,狙った相手がまずかった。マ兄貴,いやチャン親分である。ちょっとやそっとじゃ死にません。やられた相手は必ず見つけてやりかえす。兄弟分との抗争もある中で,殺人犯を追い詰める。

「犯罪都市」は良かったし,「新感染」も良かったし,何より「ファイティン!」が良かったし,この「悪人伝」も,まぁ,良かった。謎のシェフ「スタートアップ!」が観たい。

★★


杖道「1級」合格

全剣連の「杖道」を始めて約半年。先日,11月14日(日)に,千葉市武道館で,1級の審査を受けまして,無事合格しました。杖道には,基本十二本と形十二本がありますが,1級審査は,基本の1~3(本手打,逆手打,引落打)と形の1~3(着杖,水月,引提)。

1級はとりあえず,杖と太刀を扱う基本中の基本を見るだけで,ちゃんとやれば,普通は落ちることはないと思います(もちろん,程度の問題はあるでしょうけれど)。杖道を始めたことは前にもこのブログで書きましたが,1級を取って,千葉県の剣道連盟に登録されたので,自信を持って「杖道を始めました」と言える気がするようになりました。

杖道は,見た目はシンプルで動きも激しくないですが,奥が深いです。実際に杖と太刀で打ち合うという二人稽古の形式も,合気を感じることができて良いです。

剣道は防具の扱いがたいへんそうだし,竹刀で打ち合うのにも全く魅力を感じませんので,昔も今も一切やりたいと思いません。杖道と同じく刀を使う点では広い意味で剣術(刀法)の体系に含まれるのだと思うのですが,剣道の面白さと杖道の面白さはだいぶ違うと思います。その点,居合道は,シンプルですが奥が深く,動きも激しくないので,じっくりと身体に向き合って稽古できるところは,杖道に近いです。20年前ぐらいに初段まで取りました。ただ,大きく違うのは,居合道は一人稽古です。また,居合道も,刀の扱いに手間がかかることと,稽古の時の服装(いわゆる「和装」)が運動に向いていない気がしてやりにくく,要するにこれも手入れがいろいろ面倒でした。

杖道はその点,道具や服装(剣道着)の扱いがそれほど面倒でなく,一人稽古をすれば身体と向き合えるし,太刀と杖で打ち合う二人稽古をすれば間合や合気を感じられます。そういう意味で,自分にとってはちょうどバランスの良い武道だと思っています。

次は初段です。空手の段位をいただいていますし,特に昇段が目的というわけではないですが,区切りとして昇段審査があるのも,メリハリがあって良いですね。


2021年11月28日

新敬語「マジヤバイッす」 社会言語学の視点から

中村桃子(2020)白澤社

「・・・ッス」と,発言の最後にふわっと付けるこの「ス」について,社会言語学的に様々な材料(質問サイトのやりとり,大学生の会話,CM,マンガなど)から分析した良書。「社会言語学」という学問領域がどうやって問題に迫っていくか(解析していくか)を知る上でも非常に良い本だと思いました。勉強になりました。

「ス」は,僕も使いますね。時と場合によって。この,<時と場合>をあれこれ分析して,これに含まれる意味や機能を解いていく。著者の中村先生の語り口も柔らかいし,分かりやすい。関東学院大学の先生ですが,こんな先生の授業を聞きたい。きっと毎週楽しいだろうなぁ~。学生がうらやましい。そんな本です。


2021年11月17日

感情の哲学 入門講義

源河亨 2021 慶應義塾大学出版会

感情とは何かという問題,そして,感情にまつわる問題について,神経科学や心理学などの知見を元に解説している本。「感情の哲学」なんだけど,感情だけをテーマにしたら(講義する順番はともかく)僕ならほぼ同じような話をすると思うので,「感情の心理学」の本だとも言えます。大学での授業をベースに作っている,ということで,一般教養科目として大学生1・2年生対象の入門レベル。基本的には,感情に関する問題にまつわる標準的な理論や考え方,立場を紹介している内容なので,一つのテーマに踏み込んだものではないし(著者もそのようなものではないと宣言しているし),感情といえばこういう話があるよね,という基本事項をさっとなぞるには良い本です。

感情に興味があれば,こういう問題群があります,という意味で,心理学や神経科学をやりたい人は読んでおくと良い本だと思います。逆に言えば,この辺りを全然押さえないで自分のテーマだけの感情研究をやってる心理学者や神経科学者がいるとしたら,それは専門家としてちょっとどうかと思うので,感情研究者だと自負するならこのぐらいは知っておいた方が良い,そういう本でもあります。だから,テーマの網羅性という点でも,有意義な本と思います。

ただ,文末に「でしょう」が多くて,それがちょっと気になりました。


2021年11月15日

ミッドサマー

(原題:Midsommer)(アメリカ・スウェーデン,2019)

「ヘレディタリー」のアリ・アスター監督作品。「ヘレディタリー」がものすごく怖かったので,大いに期待してたけど,うううむ,なんだか全体的に「映画のセット」感というか「作り物」感がありすぎて,全然入れなかった。こういう因習もの?民俗もの?って,リアリティが肝なんじゃないかと思うんだけど,スウェーデンの奥,ヘルシングランドに住むホルガという共同体のリアリティがなさすぎる。

もしかしたら意図的にリアリティのないぐらい吹っ飛ばして作ったのかもしれないけど,もしそうなら,それが逆に裏目に出てる感じな気がします。期待してた分,あんまり面白くなかった。もっと逆なでするような怖さがグイグイ迫ってくるのかと思いきや,なんかのっぺりしてるし,共同体の儀式とか動作や行為のわざとらしさが鼻についてしょうがなかった。アリ・アスターの名作的な評価もあるけど,これ,けっこう失敗作なのではないかと思います。賛否両論あるでしょうね。

夏至祭だからみんな労働もせず,祭りを祝ってる,って設定も分かるけどね。村全体に生活感がなさすぎる。どうやって成り立ってんのよ,この村(むろん,映画内のセリフに説明はあるけどね)。なんか全部,小道具感高すぎて,もうちょっと何とかならなかったのかなぁ。

ちなみに,原題の「midsommer」はスウェーデン語でミッドソンマルと読むそうです。「夏至」って意味ですね。

【追記】あとから思い返して思ったのが,本作は,わざと全体に「(舞台)演劇的」にやってるのかも。例えば,主人公のダニーが泣き叫ぶ場面で村の娘達が一緒になって泣くのだが,そのときのカメラワークと娘達の位置が演劇的(テレビドラマ的)。俳優さん達の顔や演技が全部ちゃんとカメラに写るように,カメラ側に俳優がいない。映画なのに不自然。若者たちを村に迎えるときの迎え方。生活感のないミュージカル風な俳優の動き。儀式のときの村人達の立ち位置。部屋から部屋へ移動するときのカメラワーク。カメラは壁を無視して(横切って)移動。スタジオセット感まるだし。だから,建物がハリボテ感満載だったり,共同体の風習を描く絵画が安っぽかったり,死体がオモチャっぽかったりするのは,もしかして意図的なのかな?いやきっと,そうにちがいない。これは実際に存在する村ではなく,虚構ですよ,という暗示。虚構の中で問う家族とは何か人間とは何か生死とは何か。そういうことでしょうね,きっと。

★★


2021年11月12日

気にする心,気にしない心

つくづく思うに,私たちは,ほんとに色んな「べき」とか「ねばならない」といった思考に縛られている。実際はそうでもないのに,あるいは,もともとしたくて始めたことなのに,いつの間にか強く自分を縛っている。自分で作り上げた規則や義務に雁字搦めになっている。

だから,「べき」と思ってることや「ねばならない」と思ってることをあっさり捨ててみると,とっても楽である。身も心も楽になる。

でもなかなか簡単に捨てられないのは,他人にどう思われるか心配だからだ。ただ,他人に迷惑がかからない範囲ならどう思われても構わないと考えれば,捨てるところは捨ててしまった方が,明らかに楽である。

結局,人間は社会(他者)に縛られている。しかし,そう思っているのは私という個なのであって,思いというのは私という個が作っているのである。社会の中でこうありたいという思い(承認欲求)に動かされた思い(私的規則,私的義務)である。

意外と他人は私のことなど気にしてない。どうとも思ってないのが現実。だから,評価懸念なんてのは,詰まるところ,意識過剰なのだ。

人様に迷惑をかけない範囲の全てを手放したい。そう思って今までいろいろ手放してきたつもりだけど,まだまだ全然足りない。色んな思いがくっついてしまって離れない。

2021年11月。今月でとうとう50歳。この世に半世紀。けっこう長い。自分が50年も生きるとは思ってなかった。というわけで,これを機に,もっといろいろと手放せたら,もっと楽チンなことは明らかなので,楽な方へ楽な方へ,どんどん向かっていくことにします。

と,結局こうしてブログに書いてること自体,人にどう思われるか気になっている証拠(笑)。そもそもブログなどの発信メディアが,意識過剰ですね。他人を想定したメディアですからね。とても自己愛的で自己顕示的な行為。つくづくそう思います。

だから,書評だって映画評だって,つい悪いようには書かないようにと気にしながら書いてしまうわけです。これは疲れる。気を遣うから。だから,これからはあんまり気にせず,どう思われようが構わず,書きたいように書こうと思います。

もう50歳ですからね。人の評判気にしてたら,残りの人生モッタイナイ。ああ,こうして老害満点のジジイになってくんだなぁ。ジジイ道入門。これからは立派なジジイになりたいと思います。


2021年11月3日

樹海村

(日本,2021)

清水崇監督「犬鳴村」に続く「村」シリーズ(?)第二弾。富士の樹海には,自殺して死にきれなかった人が暮らす村がある。都市伝説をモチーフにした作りは,前作「犬鳴村」と同じ。「犬鳴村」は古い因習がテーマでしたが,今回もそうした因習も若干は含みつつ,中心は霊感の強い家系が引き寄せてしまう呪い,です。

こうして「樹海村」を観てみて「犬鳴村」と比べてみると,どちらかというと「犬鳴村」の方が面白かったかもしれません。「樹海村」も悪くはないですが,痛そうなのは嫌いです。刃物で切るようなやつ。

もう少し妹(ひびき)の方があれこれと巻き込まれていくのかと思いきや,だんだん姉(めい)の話になっていくのも,分かりにくかったし,その姉の恋人友人関係になぜいつも妹がくっついているのか(普通,姉の交友関係に妹が加わることはないでしょう),しかも姉妹が出だしから仲が悪いのはなぜなのか,分かりにくかったかも(その辺の理由があんまり説明されてない感じがしました)。

怖いかと言えば,うううん,あんまり怖くありませんでした。痛そうでした。思い起こせば,「犬鳴村」の方が怖かった。村シリーズ第3段「牛首村」というのも近々公開されるようですね。ううううううん,もう観ないかも。どうだろう。