2021年11月12日

気にする心,気にしない心

つくづく思うに,私たちは,ほんとに色んな「べき」とか「ねばならない」といった思考に縛られている。実際はそうでもないのに,あるいは,もともとしたくて始めたことなのに,いつの間にか強く自分を縛っている。自分で作り上げた規則や義務に雁字搦めになっている。

だから,「べき」と思ってることや「ねばならない」と思ってることをあっさり捨ててみると,とっても楽である。身も心も楽になる。

でもなかなか簡単に捨てられないのは,他人にどう思われるか心配だからだ。ただ,他人に迷惑がかからない範囲ならどう思われても構わないと考えれば,捨てるところは捨ててしまった方が,明らかに楽である。

結局,人間は社会(他者)に縛られている。しかし,そう思っているのは私という個なのであって,思いというのは私という個が作っているのである。社会の中でこうありたいという思い(承認欲求)に動かされた思い(私的規則,私的義務)である。

意外と他人は私のことなど気にしてない。どうとも思ってないのが現実。だから,評価懸念なんてのは,詰まるところ,意識過剰なのだ。

人様に迷惑をかけない範囲の全てを手放したい。そう思って今までいろいろ手放してきたつもりだけど,まだまだ全然足りない。色んな思いがくっついてしまって離れない。

2021年11月。今月でとうとう50歳。この世に半世紀。けっこう長い。自分が50年も生きるとは思ってなかった。というわけで,これを機に,もっといろいろと手放せたら,もっと楽チンなことは明らかなので,楽な方へ楽な方へ,どんどん向かっていくことにします。

と,結局こうしてブログに書いてること自体,人にどう思われるか気になっている証拠(笑)。そもそもブログなどの発信メディアが,意識過剰ですね。他人を想定したメディアですからね。とても自己愛的で自己顕示的な行為。つくづくそう思います。

だから,書評だって映画評だって,つい悪いようには書かないようにと気にしながら書いてしまうわけです。これは疲れる。気を遣うから。だから,これからはあんまり気にせず,どう思われようが構わず,書きたいように書こうと思います。

もう50歳ですからね。人の評判気にしてたら,残りの人生モッタイナイ。ああ,こうして老害満点のジジイになってくんだなぁ。ジジイ道入門。これからは立派なジジイになりたいと思います。


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