2022年3月29日

遠巷説百物語

京極夏彦 (2021) 角川書店

ようやっと,読めました。遠野郷での仕掛けのハナシ。盛岡藩筆頭家老であり遠野南部家当主・南部弥六郎義晋の隠密・宇夫方祥五郎は,善晋の命により,遠野に流れるハナシを集める御譚調掛。ハナシを集める中,奇っ怪な事件が起こる度に首を突っ込むが,そこにはどうやら迷家に住む裏渡世の輩たちの仕掛けが巧妙に絡んでいるのだった。いやぁ,面白いなぁ,いつもいつも京極は。


2022年3月24日

アンノウン

(原題:Unknown)(アメリカ・ドイツ,2011)

リーアム・ニーソン主演のサスペンス。テレ東午後の「Cinema Street 午後のロードショー」でたまたま昨日放映されていたので,思わず改めてまたAmazonプライムで観てしまった。これで3回目。この映画は面白いです。2~3回はおかわりできる面白さ。

しかし,テレ東「午後のロードショー」は,(ごまんとある映画の中で)昔からなんとなく僕が今までに観たことがあるか観てみたいと思っている映画(「秘宝」的な映画)をよく放映してます。この枠の担当者と趣味(や年代?)が近いのかもしれない。

★★★★


2022年3月15日

言語学バーリ・トゥード Round 1

川添愛 (2021) 東京大学出版会

東京大学出版会のPR誌『UP』連載の単行本化。言葉にまつわるエッセイ。世代と好みが近い(なお,遠いものもある)ので,あるある感が高い。Round 2が楽しみ。タイトルから,著者の近著『ふだん使いの言語学』もすでに購入済みでした。

もっと遠慮せず,プロレスネタなど著者の趣味全開で攻めても良いじゃないでしょうか。読者はむしろそれを求めています。

しかし,この本を読んでふと思うに,大学の講義でも,面白い先生の話はいくら脱線しても(むしろ脱線する方が)面白いのですが,面白くない先生ってのは得てして脱線しないですよね。この本は,先生の脱線をずっと読んでいる感じで心地よい。

だから講義で脱線した方が良いと思うわけですが,近頃の遠隔授業(オンデマンド動画配信)は脱線しにくいし(なぜなら個室で一人で録音するので,まったくの一人ボケ状態で心が寒くなるから),対面授業でも脱線するのを嫌う生真面目な学生も中にはいたりして,なかなか難しいとは思いつつ,来年度から我が勤務校は全面的に対面授業になることになったので,大いに脱線したいと思います。


エクス・マキナ

(原題:Ex Machina)(イギリス,2015)

検索エンジン「ブルーブック」のプログラマーであるケイレブは,社長の別荘(山奥)に1週間滞在できる社内抽選に見事当選する。社長のネイサンは13歳でブルーブックのプログラムを開発した天才であり,巨万の富を持つ。ケイレブのような一社員がなぜ社長の別荘に呼ばれたのか。それは,ネイサンが開発しているAIの実験に協力してもらいたいから。そのAIとは,女性型のアンドロイド。ケイレブは「エヴァ」と呼ばれるそのアンドロイドと面会する。

アンドロイドの映像は見事。でも,ストーリーに新味や深みはあんまりない。ただし,心とは何かを考える上では,分かりやすくて良い教材になると思う。

タイトルの「エクス・マキナ」の意味を調べてみましたが,「デウス・エクス・マキナ」というのがあって,これはラテン語で,「古代ギリシャ・ローマ劇において,困難な状況に陥った主人公を救い出すために,舞台上方からつり降ろされる神」とありました。あるいは「(小説や日常生活における)救いの手(神)」ともありました。AIを作るということは神の所業だというような会話が出てくるので,「神」を暗示してるのかね。それとも,「機械の向こう」って意味なのかな。

★★

たそがれ清兵衛

(日本,2002)

幕末。庄内地方(今の山形)の藩の平侍・井口清兵衛は,妻が長患いで亡くなり,年老いた母親と小さい娘二人を抱えて,貧乏ながらなんとか暮らしている。身なりに気を配る余裕もなく,下城の合図の太鼓とともに帰宅する清兵衛を,同僚たちはばかにして「たそがれ清兵衛」と呼んでいた。家では内職と畑仕事に励み,娘の成長を見守ることを喜びに感じていたが,あるとき訳あって果たし合いをすることになってしまった清兵衛。その果たし合いで,真剣相手に木刀で見事に勝つ。実は清兵衛はかつて,戸田流小太刀術の師範代まで務めた男だった。

邦画はほとんど観ないと言いながら,続けてまた観てしまった。とても良い映画でした。井口を演ずる真田広之ももちろん素晴らしいが,最後に死闘を繰り広げる相手・余五善右衛門を演じる田中泯の鬼気迫る芝居も凄かった。死に際は,まさに舞踏家としての美しい舞でした。この場面だけでも一見の価値ありです。

(いや,実は最初,田中泯という人は俳優だと思って普通に観ていたのですが,死に際がまるで舞踏のようだなぁ,凄いなぁ,と思っていたら,この人,舞踏家だったので,ああやっぱり,と思った次第です)

★★★

2022年3月10日

ブルークリスマス

(日本,1978)

邦画は(寅さん以外)ほとんど観ないと言いながら,続けて邦画を観ました。1978年の映画ですが,こんな映画があったとは。これはなかなか良い。特撮のないSFパニック・サスペンス映画。英語のタイトルは,”Blood Type: Blue"(血液型:青)。監督は岡本喜八,脚本は倉本聰。なるほど,さすがです。

それなりに映画の評論や記事を読んでいて,過去の邦画も有名なものは,名前だけは知っていることが多いですが,この『ブルークリスマス』は今まで聞いたことがありませんでした。これ,僕が知らなかっただけで,その筋では有名な映画なんじゃないかなぁ。そのくらい,よくできた,考えさせられる映画です。

最近,UFOの目撃談が世界中で増えている。隊をなしたUFOの船団を観たという報告もある。そんなとき,血液が青色になったという人のニュースが入る。どうも,UFOと関係があるらしい。そのことを国際会議で告発した博士が失踪する。やがて世界中の政府は,青い血の人を選別・隔離・迫害するようになる。

物語は,失踪した博士を追う国営放送局の南(仲代達矢),そして,青い血の人を捜索・隔離する任務を負う国防庁特殊部隊の沖(勝野洋)とその恋人・冴子(竹下景子)を中心に展開していく。

★★★★


孤狼の血 / 孤狼の血 LEVEL 2

(日本,2017)(日本,2021)

邦画はあんまり観ませんが,年に一度ぐらい,ほんのごくたまに,なぜかヤクザ映画が観たくなります。でもやっぱり観た後,ものすごく後悔する。観るんじゃなかった。なぜなら,ものすごく荒んだ気分になるから。暴力,血,怒声,脅迫,拳銃,刃物,人体破壊,犯罪・・・。

前回,Part 1とPart 2のことを少し書きましたが,この映画,2021年公開のPart 2のことを知ってから,まずは1から観ました。でもって,1を観たら2を観たくなります。気分は2倍荒むけど(笑)。

昭和から平成になる頃の広島。暴力団と裏でつながってるベテラン刑事・大上(役所広司)と組まされた新人刑事・日岡(松阪桃李)。抗争している組同士の一方のフロント企業の経理が失踪。二人は捜査を開始する。しかし,大上のあまりに無法な捜査手法に日岡は付いていけない。

★★★

The Witch 魔女

(原題:The Witch: Part 1. Subversion)(韓国,2018)

ある特殊な施設で育てられた少女が,命からがら施設を脱走する。子どものいない,田舎で酪農を営む夫婦に助けられた少女は,その夫婦の娘として育てられ高校生になった。厳しい家計を助けようと,アイドルのオーディション番組に応募してテレビの前で歌った少女は,特技として手品を見せる。すると,怪しい人物たちが次々と彼女の前に現れるようになる。

副題が,"Part 1. Subversion”とありますから,まず,Part 2があるということ,つまり,Part 2の制作まで企画が通っているということですから,企画・制作側も自信作?ということですよね。これって,自分でハードル上げちゃってることにならないのかな。普通は,映画が当たってからPart 2を作ることが多いわけですから,Part 1で当たらなかったらPart 2は非常に厳しいでしょう(場合によってはお蔵入り?)。そういう意味で,この前のインドネシア映画『グンダラ』は大丈夫なのか?とこちらが心配してしまいます。明らかにPart 1なのに(続編を意識し過ぎた曖昧な前振りや伏線がいくつもある),次を観たいと思わないビミョーな内容でした。頑張れグンダラ!

果たして今回の『The Witch 魔女』は,とりあえず,次を観てみたい,つまり,企画・制作側の思惑通り,Part 2を観たいと思わせるような内容でした。Part 2は,すでに撮り終わっているようですが,公開は2022年の後半と言われています。

なお,副題のsubversionは,「転覆」「破壊」という意味ですね。

★★★

2022年3月8日

メタモルフォーゼ/変身

(原題:Metamorphosis)(韓国,2019)

悪魔と対峙して取り逃がした青年神父の親戚家族が悪魔に狙われる話。この前,韓国のアクション・エクソシスト映画『ディヴァイン・フューリー/使者』を観たばかりだったのですが,この映画も韓国エクソシスト映画でした。タイトルからは分からなかったのですが,映画冒頭からいきなり悪魔払いでした。やっぱりキリスト教が浸透しているので,受け入れられやすい下地が韓国にはあるんでしょうね。前も書きましたが,日本だったら神道とか密教とか陰陽道です。

後味は非常に良くない。なんかもう,悪魔のやることが怖いというか,悪すぎる。家族はもう散々な目に遭います。そういえば,『コクソン』も後味悪かったなぁ。なんかもう,魔物のせいで散々な目に遭って,最後も全然やりきれない。そう思えば,マ・ドンソク兄貴の『犯罪都市』なんかも,アクションがえげつない。韓国映画って,容赦ないねぇ。日本映画は,やっぱり,お行儀が良いのでしょうか。日本映画はあんまり観てないから何とも言えないですが。あ,たけし映画の暴力はえげつないですね。

この映画は,もう,後味が悪いので,気分は落ち込みます。そのくらい,よくできているとも言えます。

★★

ゾンビランド

(原題:Zonbieland)(アメリカ,2009)

私が観ている配信はAmazonプライムなのですが,たまたま,前にも観たことのある『ゾンビランド』があったので,なんとなくもう一回観ました。最初に観たときに「こりゃなかなか面白い映画だ」と思ったのでもう一回観てみたのですが,まぁ,面白かった。しかし,ものすごく面白い映画って,二度三度観ても(つまり,展開が分かっていても)面白いですよね。これはそれほどではなかったかなぁ。

★★★

インフィニット 無限の記憶

(原題:Infinite)(アメリカ,2021)

人は輪廻転生する。このとき,前世の記憶をそのまま次の世代に残す種族がいる。その種族にはさらに二種類あって,その(蓄積されていく)特性を世界の発展に活かそうというのがビリーバー,その(永遠に死が訪れない)特性を恨んで人を世界から根絶させようというのがニヒリスト。

記憶は,生まれてすぐ思い出すのではなく,少年期・青年期のあるときふとありありと思い出す。主人公は,そこんところでうまく思い出せずに人生を彷徨っていた男。経験のない記憶をありありと思い出すのは妄想のようなものだと,統合失調症の診断を受けて向精神薬を常用していた。しかし,経験していないのに知っていたり体で覚えていたりする。

映画全体がスタイリッシュ。特に,車やオートバイなどの乗物が全部カッコいい。映画冒頭からキレのあるカーアクション。輪廻転生がコンセプトなので,全体的に東洋的な味付け。主人公の武器も日本刀です。しかも,五ェ門の「斬鉄剣」ばりに鉄まで切っちゃいます(笑)。

世界観とスタイリッシュさは,良かった。

★★★

杖道の面白さ

杖道は地味です。しかし,この地味な中にこそ深さがあって,じわじわとその面白さが広がっていきます。

まず,勝ち負けという意味では,杖道は,大会でその技の出来具合を競うことはありますが,普段の稽古は基本的に二人で行う形稽古で,基本動作十二本と形十二本。これだけ。このシンプルさゆえ,技一つ一つを深く練ることが求められます。そういうところに魅力を感じます。技の上手下手はありますが(そのために,自分はあの人より上手いとかこの人より下手だとか思う人もいるかもしれませんが),競い合うことが主要な目的ではないので(競技大会を目的にしている人もいるかもしれませんが),あくまで自分の中での上達を日々,味わうことができます。

武道の形は,少ない方が良い。なぜなら,その形を丹念に(つまり,自己の身体と向き合って対話しながら)練ることができるからです。空手は,特に糸東流は宗家摩文仁賢和先生の研究熱心さゆえに,首里手と那覇手両方からなる多くの形を稽古します。このため,どうしても形の流れを覚えるので精一杯になってしまいます。一つ一つの形も,中国武術に比べれば短いですが,一般的な日本武道の形に比べると,それなりに長い。なので,糸東流に伝わっている形は非常に多いわけですが,個人的には,稽古する形はその中のわずかで良いと思っています。何でもかんでも形ができれば良いというものでもありません。流派を伝承することを目的とすれば,形を覚えておく必要はありますが,空手を稽古することが目的であれば,例えば,ナイファンチとサンチン,テンショウ,それからパッサイとセーサンぐらいで十分でしょう。あとは好み。好きな形だけで良い。

杖道の形一つ一つは,動きの手順としてはどれも短いです。これを二人一組で行う,つまり,二人による形になっています。太刀VS杖。合気道のように,二人で行う形,というところが魅力の一つです。実際に太刀を打ったり受けたりします(なお,もちろん,相手の身体を直接思い切り打つことはありません)。このとき,相手と技を合わさなければなりませんから,間や呼吸が大切になります。相手は一人一人違いますので,呼吸も間もそれぞれ個性があります。制定の形として,そういう呼吸や間の個人差も含みながら,全体としては統一した身体操作を修得することを目標としています。

杖VS太刀ですが,杖道ですから,杖が太刀に勝つ流れになっています。だから,「杖道」という武道は,実は杖の操作だけではなく,太刀の操作も身に付けなければなりません。ここもまた魅力の一つです。太刀が上手く使えないと,杖の稽古にならないからです。

それに杖道は,剣道のように激しく打ち合う試合(空手で言うところの自由組手)はないので,息も切れ切れ,なんてことはありません。だから,生きている限り,このままじいさんになってもできそうなので,50歳を機に始めてみました。体力のない私にとっては,ちょうど良い運動量です。講習会に行くと,高齢になっても続けている人の多いことが分かります。これはたいへん心強い。

あんまり熱を入れすぎると,それはそれですぐに冷めやすいかとも思うので,入れ込みすぎないようにと思いつつ,まぁ,やりたいようにやっています。


2022年3月7日

杖道「初段」合格!

昨日,杖道の審査会があり,おかげさまで初段の審査に合格しました!晴れて初段です。杖道を始めてまだ間もないですが,先生先輩諸氏のご指導のおかげで合格できました。


2022年3月3日

勝ち負けへのこだわり

将棋は,勝ち負けにこだわるゲームですが,勝ち負けにだけこだわるととたんにつまらなくなります。

人間は,他者による自己の評価に強いこだわりをもっています。人間とは,「評価懸念する動物」です。評価の中でも,強い弱いはもっとも動物的かつ原始的本能的なものでしょう。つまり,勝つか負けるかにこだわりやすくできていますから,勝ち負けにこだわりだすとそのことだけに気を取られるようになります。

そんなことを,将棋をしながら改めて感じています。

禅やタオは,そういう,勝つとか負けるとか,強いとか弱いとか,高いとか低いとか,相対的な価値のモノサシから逃れることを提案しています。そういうモノサシ上で自己を測っている限り,苦しみから逃れることはできません。単純な話,そういうモノサシへのこだわりを捨てれば,苦しまずに済みます。

その点からすると,武道もまた,スポーツ化した現代の剣道や柔道や空手道ではなくて,形を中心に技を練ることを主眼とした稽古体系のもの,例えば,合気道や居合道や杖道,それから古流の(沖縄)空手などの方が良いと言えるわけで(拙著『空手と禅』他参照),本来,「武道」の「道」とはそういう意味合いを含んだものだと思うわけです。

ただ,スポーツ化した武道も,その稽古者が,競技(勝ち負け)を越えて技を練り始めるところまで行くと,それこそ本物の武道家のように思います。最近勝手に思っているのは,柔道の大野将平氏は,見ていてそういう志向性を感じます。

将棋こそ,勝ち負けを競う最たるものだと思いますが,ここから,勝ち負けを越えた別のもの,将棋という9×9のマス目の中で40枚のコマがいかに動いていくかのダイナミズムの美しさ(を体現することに自らがたずさわること)に主眼を置けば,常に楽しいのではないかと感じます。武道と同じく,相手と呼吸(気)が合わさったときには,買っても負けても清々しい気持ちで対局を終えることができます。

ただ,それもまた素人の(負ける)言い訳に過ぎないかもしれません。藤井聡太五冠など,すでにそういう,勝ち負けを超越した次元なのかと思いきや(そういう一面もあると思いますが),他を寄せ付けないほどの「強さ」への強烈なこだわりがあって,そこもまた彼の魅力でしょう。

負ける「悔しさ」が嫌で勝負することを躊躇する,と前回書きました。でも,盤上のダイナミズムが面白いから,やっぱり辞められず,懲りずに勝ったり負けたりヘボ将棋をしています。ヘボ将棋ではあるのですが,でもやっぱり負けると悔しいことが多い(笑)。さて,これをどう乗り越えていくかは,やっぱり,勝ち負けへのこだわりを越えて駒になりきることなのかなと思ったので,書きました。

たかが将棋,されど将棋。