2021年3月29日

殺人者の記憶法

(原題:Memoir of a Murderer)(韓国,2017)

なんだか凄い映画です。なんとなく邦画はあまり見ないのですが(それは,CMやバラエティに出る俳優の日常が透けて見えてしまって,見ていてあんまり感情移入できないから,というのが昔からの理由の一つ),韓国映画が凄いのか,日本映画もこのぐらい凄いのか,良く分からないけれど,この映画はとにかく凄い。タイトルやポスターはけっこう地味ですが,これ,ただの映画じゃありません。

きっと認知症やアルツハイマーを患っている人の世界(主観的な体験)は,(映画だからもしかしたら実際とは少し違うのかもしれないけれど)きっとこうなのかもしれない,と思わせる見事な記憶障害の描写と,それを軸にした恐ろしい物語です。

キム・ビョンスは,銀行で働く娘ウンヒと二人で暮らす60前後の獣医。認知症とアルツハイマーを発症している。物語は,留置所のベッドに横になって医療を受けているキム・ビョンスのところに検事がやってきて,聴取するところから始まる。検事の手には「日記」がある。どうやら「日記」はこのキム・ビョンスが書いたもののようだ。「日記」には自分の過去と現在進行形の出来事が,つまびらかに<告白>されている。この話はだから,この「日記」に書かれている内容と書いた本人である記憶障害(認知症)のキム・ビョンスの追想(記憶),ということになる。

ここ最近,キム親子の住む町で,若い女性が殺される事件が相次いでいる。連続殺人鬼か。若い娘のいるキム・ビョンスとしては心配で仕方がない。いや,しかし,実は問題はそこだけではない。実はキム・ビョンスは昔,連続殺人鬼だったのだ。

ある日,キム・ビョンスは霧深い道路で追突事故を起こす。すると,追突してしまった車のトランクからは血が滴っているではないか。車の持ち主は超イケメンの若い男。もしやこの車の持ち主が,今世間を騒がせている連続殺人鬼ではないか,いやそうに違いない!車のナンバーを覚えたキム・ビョンスは,警察に密告する。

イケメンの男ミン・テジュは警察官であり,キム・ビョンスの娘に近づく。キム・ビョンスは怪しむが,しかし,マズいことに,ときどき記憶を失って,自分が何をしていたのか,すっかり忘れてしまうのだ。だから,都度都度,ボイスレコーダーに録音することにする。キム・ビョンスはこれを聞き返してときどき記憶を思い出し,なんとかしようと行動する(これがこの映画のタイトルになっている,ということですね)。娘を守りたい一心で奮闘するが,残念なことに,肝心なところでまた忘れる。

これだけでもハラハラしますが,話はもちろん,これだけではありません。最後まで目が離せませんし,もう一回観たくなります。この物語は,映画論で言うところの「パズル・フィルム」というジャンルに入るのだと思います。最近は多く見られるジャンルですね。クリストファー・ノーラン作品とか。

パズル・フィルムとは,「断片化された時空間のリアリティ,時間の循環構造,異なったレヴェルのリアリティの間の境界の曖昧化,分裂したアイデンティティや記憶喪失を伴う不安定な登場人物,多元的な迷路状のプロット,信頼できない語り手,そしてあからさまな偶然性」(Warren Buckland)と定義されるそうです(木下,2017)。

パズル・フィルムは,観た後に反すうします。反すうする映画が良い映画の特徴だと思うと以前に書きましたが,つまり,パズル・フィルムの面白さ(良さ)は,複雑にすることで観た後に考えさせるところがミソなのかもしれません。ただ,何でもかんでも複雑にすりゃ良い,ってもんじゃないから,やっぱり,その複雑さっぷりが面白くないといけないのも確かだと思います。

★★★★


2021年3月27日

トランス・ワールド

(原題:Enter Nowhere)(アメリカ,2011)

森の中の小屋に,3人の男女(男1人,女2人)が辿り着く。辺りには何もない鬱蒼とした森の中で,それぞれ,事故を起こしたり,ガス欠になったり,置き去りにされたりして取り残され,この小屋に辿り着く。この時点でもうすでに,かなり奇妙な話です。

そこにいても食料と水は底をつくから,なんとかしたいわけだが,どこまで行っても結局,元の小屋に戻ってしまう。やがて,銃声が聞こえたり,防空壕があったり,とますます奇妙な状況になっていきますが,ワインや紙幣から,この奇妙な状況の謎が徐々に溶けていきます。なるほどそういうことね。

設定は面白いけれど,最後に辿り着いた解決策となる状況が,観ていてよく分からなかったかも)。彼(4人目の登場人物)はなぜここにいる(きた)?彼は他の3人と同様,迷い込んだのか?ここで一人で何をしている(していた)のか?つまり,彼の状況がイマイチ読めませんでした。つまり,彼にとってこの状況は通常通りなのか奇妙な状況なのかが,ちょっと判別できませんでした。仮に,彼にとって通常通りの世界なら,もう少しそれを説得的に説明するようなセリフや態度(演技?)をさせないとね。なんか,ずっとオドオドして困惑してるんですよね,この人。

というのも,たぶんこれ,ものすごい低予算映画だからだと思います。主な俳優は4名。場面はほぼ森と小屋。小屋も小道具も全部ショボいし,爆撃機のCG?もその爆撃もショボい。話は全体的に悪くはない。途中までは状況の奇妙さにそそられました。謎の理由が知りたくて。だから,悪くないんだけど,最後のクライマックスはストーリーでもってもうちょっと工夫しようがあったように思うんだけどなぁ。

ちなみに,主演の一人(男)トムは,スコット・イーストウッド。クリント・イーストウッドの息子です。



2021年3月25日

アップグレード

(原題:Upgrade)(アメリカ,2018)

これまた凄い映画です。日常生活の機械化・自動化が進む近未来。アナログな旧型車の製造・修理を生業にしているグレイは,妻と一緒に客に車を納品した帰り道,自動運転の車が暴走して事故に遭い,おまけに怪しい集団に妻を殺され,自分も撃たれて全身麻痺になる。納品した車の主は機械産業のトップ企業の天才創業者で,新しく開発した神経接続チップ「ステム」を脊髄に埋め込めば,体を動かせるようになるかもしれないと言う。

果たしてチップを埋め込んだグレイは,自分で動けるようになる。しかし,ここからが問題だ。ある日,自宅にいると,どこからか声がするのだ。自分に話しかけてくる声の主はなんと,埋め込まれたチップ「ステム」だった。

ステムは,グレイにあれこれ提案してくる。妻を殺した犯人たちを捜そうと誘う。犯人の一人とはちあったとき,ただの機械工であるグレイはどうして良いか分からない。するとステムが提案する。自分に任せろ,自分に主導権を渡せと。すると突然,超人的な動きで犯人の男をボコボコにして殺してしまった。この辺りの殺戮描写は残酷でグロい。

本当は全身麻痺なのだが,ステムのおかげで日常生活どころから超人的なこともできるようになったグレイ。まさにアップグレードである。ただし,ステムが過剰に提案したり,過剰に行動して,グレイは徐々に自分が制御しているのか制御されているのかよく分からない状態になっていく。恐ろしい。ヤバい映画です。

機械化人間のメカも一つ一つグッとくるし,超人モードの時の格闘シーンも,ロボット的カンフーアクションでこれまたグッときます。新しい。製作はあのブラムハウス。ブラムハウスと言えば『ゲット・アウト』。『ゲット・アウト』と言えば,あの,家政婦役のベッティ・ガブリエルですが,この『アップグレード』にも,グレイの行動に疑問を抱いて追いかける刑事役で出てきます。顔(特に目)が特徴的な,一度観たら忘れられない,とても印象的な俳優です。

★★★


2021年3月19日

グッド・ネイバー

(原題:The Good Neighbor)(アメリカ,2016)

胃の辺りというか,お尻の辺りというか,ずっと落ち着かない映画でした。そして,観た後,いろいろと考えてしまう,そういう映画でした。

ストーリーとしては,高校生二人が隣に済む一人暮らしの老人の家に装置や盗撮カメラをしかけて,怖がらせて,それを観察しよう(もちろん録画して),というゲスな「実験」を企てる。これ自体,度を超した悪戯?(いや犯罪です)であって,観ているこっちはいつバレるか,いつ事件になるか,ヒヤヒヤして胃がムカムカする話ですが,実は話はどうもそれだけじゃないことが少しずつ分かります。途中途中,裁判の場面が挟まるからです。何かとんでもないことが起こったのです。

日本の宣伝用チラシが「このジジい,かなりヤバい」というキャッチフレーズなのですが,これはあんまり内容を反映していません。確かに最初は偏屈な老人として,得体が知れないのですが,むしろ,邪魔してるかもしれない。決して単なる暴走老人の話ではなく,もっと深い話です。

高校生は,この老人が異常人物だという理由で,だから「実験」しても良いんだという身勝手な理屈で無茶なことをあれこれやるんですが,実はそれだけが理由じゃないところも少しずつ分かってくる。一体,どういう結末になるのかなかなか読めなくて,話に引き込まれます。

結末はあまり気持ちの良いものではありません。でも,いろいろと考えさせられます。ずっと落ち着かない映画ですが,だからこそ98分で長すぎず,良い映画だと思います。

★★★


2021年3月14日

悪魔のいけにえ

(原題:The Texas Chain Saw Massacre)(アメリカ,1974)

観てしまった。とうとう観てしまいました。人体破壊などのグロい描写があんまり好きではないので,ホラー映画の金字塔という噂のこの映画は,なんたってチェーンソーですから,正直,観るのを避けていました。ですが,怖い物見たさでとうとう観てしまいました。

こりゃすごい映画です。やっぱり,最初にレザーフェイス登場場面が強烈にインパクトがあります。なんていうか,脅かそうとかビビらせようとか,そういう意図がまったくなく,あっさり出てきてあっという間にやってしまうその躊躇の無さが怖いです。さっきまでの日常が瞬間で凍りつきます。この急激な転換に,血の気が引きました。

だんだん不気味になっていくとか,だんだん怖くなっていくような,チラリズム的なぞくぞくするホラーではなくて,呼吸が止まって胃がキュッっとなって背筋が冷えるホラーです。この急展開とリアリティの高さは,BGMがないからですね。田舎町で非日常的な残酷殺人が行われている日常という違和感。非日常と日常の背景的なトーンが同じだから,人間にとって,誰にとっても,一寸先は闇なのだという怖さです。

84分ですから,短い映画です。120分もこの調子だったらえげつなすぎて耐えられません。ヒッチハイカー(次男)も不気味すぎる。コック(長男)もやばい。レザーフェイス(三男)は有名なので言わずもがな。チェーンソーをブインブイン言わせて振り回しながら追っかけてきます。なお,続編があって,もう一人兄弟がいるようです。

しかし,初めて観ましたが,今時の直接的な人体破壊シーンはありませんでした。でも十分痛さは伝わります。殺戮場面はこれぐらいで十分なのに,なんで直接的に残酷描写をする映画がけっこう多いんでしょうね。そういうのを観たい人がいるのは分かりますし,その方が物語としてインパクトがあるからでしょうか。むしろそういう描写をしないで同じぐらいのインパクトを与えるような工夫をした方が,映画として凄いと思うんですけどね。

なので,人体破壊描写がダメな人でも,ホラー映画の金字塔(名作)として,(変な言い方ですが)これは観ても大丈夫(?)だと思います。観る価値は大いにあります。

最後,赤い夕日が沈む中で,チェーンソーをブインブイン言わせて一人でグルグル回ってるレザーフェイスが切なくて怖い。

★★★


2021年3月13日

哲学はランチのあとで:映画で学ぶやさしい哲学

内藤理恵子 2011 風媒社

月刊『仏事』と月刊『あじくりげ』という雑誌に掲載されていたコラムを再編集してまとめたものです。読みやすいし面白い。なんと言っても,映画がたくさん出てきて,そこから哲学的なことを考えてみる。そんな楽しい本です。2011年出版なので,話題が今からだと若干古いわけですが,まぁ,それは仕方ないですね。10年前はそういえばそんなこともあったなぁと振り返る機会だと思えば,それもまた面白い。

内藤氏は学部は哲学,大学院は宗教学で,専門は葬送・供養・死だそうです。イラストレーターでもあります。多才です。


2021年3月10日

丹田呼吸健康法:調和息入門

村木弘昌 1971 創元社

1971年12月15日に公刊された書籍です。私の誕生日が1971年11月26日ですから,生まれて20日後ぐらいの本です。そのちょうど自分が生まれたころの医学の様子が分かる本です。今から50年近く前ですが,今とほぼ同じような知識と治療だったり,当時と今とで違っていたりと,その点は面白かったです。

とにかく,丹田呼吸法が良い,という本です。いろいろな病気や症状に,良い方向に効きます(効くはずだと書いています)。ここで「丹田呼吸」とは要するに腹圧をかけた呼吸,を指します。吸気のときにかける場合(吸気性強腹圧呼吸)と呼気のときにかける場合(呼気性強腹圧呼吸)とあります。

本書で何度も出てくるように(副題にもあるように),この丹田呼吸法は藤田霊斎によって創始された方法であり(調和道丹田呼吸法),医師である著者がこれの効用と実践方法を解説する,という体裁です。この他にも,呼吸法関連の本を多数書いています。なお現在も,調和道協会というのがありますね。著者はこの協会の会長でもありました。

呼気のときに腹圧をかけるのは,空手でもそうします。少なくとも,私の教わった小林真一先生と西田稔先生の空手ではそうします。これには特に名前は付いていなかったので,私も当初は丹田呼吸と呼んでいましたが,この呼吸法は古来「密息」と呼ばれるものだと思われます。ですので,私の著書や小論の古いものは「丹田呼吸」と書いていますが,新しいものは「密息」と書いています。

いずれにせよ,この呼吸法が昔から良いと考えらている(そして推奨・実践されている)ことが分かる本でした。



2021年3月7日

武器人間

(原題:Frankenstein's Army)(オランダ・アメリカ,2013)

第二次世界大戦末期の独ソ戦,攻め入るドイツに対してソ連の偵察部隊が潜行する。映像は,同行したモスクワ映画大学出身の兵士ディミトリ(ディマ)が撮影したPOV形式のモキュメンタリー映画。偵察を進める中で,奇妙な教会を発見する。そこはナチスが使っていた何かの実験場のようで,奥には機械(武器)と合体した改造人間がつながれていた。

次から次へと,武器(巨大ナイフとか巨大鎌とかハンマーとか巨大ペンチとかかぎ爪とかドリルとかプロペラとか!・・・プロペラは武器ではないけど!)を移植された改造人間が襲ってくる。彼らに人間的な意思は残っていないようだ。

虐殺・戦闘・殺傷・改造場面がちょっとグロい(内臓をぶちまけたり,脳みそを取り出したり・・・おえっ)。グロいのはあんまり好きではないので,目を背けたくなります。

改造人間のフォルムはどれも気持ち悪さと異様さが秀逸。こういう怪物がいたら怖いな~と想像力を逞しくした,画才のある小学生か中学生が描いたようなナチス趣味の悪魔的改造人間。ナチスは実際いろんな兵器を次々に開発していて,その中には奇妙で独特な発想のフォルムや機能の兵器もたくさんあったわけで,そこからこういう悪魔的フォルムの改造人間に発想が行くわけですね。この,改造人間のテイストは,僕らの世代としてはショッカー怪人であって,そういえば,ショッカーは「ナチスドイツの残党」という設定でした(ショッカー怪人は昆虫と人間を合体させた改造人間ですが)。ちなみに,地球連邦軍に比してジオン軍が次々に新しい(奇妙なフォルムの)モビルスーツやモビルアーマーなどを作るのは,ナチスがモデルですね(ジオン軍の軍服もナチスっぽいし)。

物語に奥深さはほとんどないけれど,マッドサイエンティストによる残酷実験で改造された奇妙な武器人間たちが襲ってくる,お化け屋敷的映画です。でもこの武器人間,デザイン的に好きな人たちは結構いるだろうなぁ。・・・と思って,「武器人間 フィギュア」で検索したら,やっぱりたくさんヒットしました。

★★


タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら

(原題:Tucker and Dale vs Evil)(カナダ,2010)

これは面白かった。ジャンルとしてはホラー・コメディーというんでしょうか。というか,ホラーのパロディですね。でも,ホラーマニア向けの内輪ネタとかアメリカンジョークが満載の(門外漢や日本人にはどう面白いのかよく分からない)白けたエピソードが並んだ薄っぺらな映画ではありません。話もよく練られていて,笑えます。90分でまとまっていて,飽きさせません。

田舎にキャンプをしに訪れる都会的な大学生の若い男女。ホラー映画の定石では,彼らは田舎に住むシリアルキラーに惨殺されるわけですが,ここから面白いのがこの映画。念願の別荘(今にもつぶれそうな掘っ立て小屋)を買って休暇を過ごしに来た独身のむさ苦しい男二人組タッカーとデイルは,大学生たちとすれ違う。むくつけき男二人を見て大学生は恐れおののく。あの二人組は,無差別に旅行者を襲う異常殺人者よ,きっと!

つまりこの映画,キャンプに訪れた大学生たちを次々と襲う恐怖の連続!ではなくて,勘違いした大学生たちに次々と襲われる不運なタッカーとデイルが味わう恐怖の連続!なのです。

とにかく大学生の勘違いっぷりが笑える。彼らは勝手に想像を膨らませて恐怖に苛まれ,結果的には定石通り,無残に勝手に死んでいきます。タッカーとデイルからすれば,次々に死んでいく彼らは了解不能の「変態自殺集団」なわけですね。たくさんあるホラー・コメディーの中で僕が知らないだけだと思うのですが,こういうふうに構造を転換したものって他にもあるのかな?ないのだとしたら,これはなかなか傑作です。

原題にあるように,タッカー&デイルvs悪鬼(evil)であり,物語はいつの間にか,イカれた悪魔的サイコ大学生(キザ野郎)との対決になっていきます。この,サイコ大学生のウザっぷりがまた見事。こういう,リーダーぶった面倒くさいヤツって,いますよね~。

★★★


2021年3月6日

アトラクション 制圧

(原題:Attraction)(ロシア,2017)

ロシアSF。宇宙船が墜落するところは圧巻です。どうも目的は侵略ではないようだ。不時着した宇宙船から宇宙人も現れた。敵意はない。さあこれからどうなるのか!というところまでは良かったですが,どうもそれから話が全然大きく展開しないので,間延びしてついに途中で飽きました。

(ネタバレで申し訳ないですが)そもそも宇宙人が完全に人間とそっくり,ってところでもうダメでした。そんなのあまりにも都合良すぎるだろう(笑)。別の惑星なのにどういう進化の過程を経たら生物として全く同じになるわけよ。ほぼ同じ環境の地球上だって,大陸が違うだけで同じ類でもこれだけ種が異なるんですよ。せめてキアヌ・リーブス主演の『地球が静止する日』みたいに人間の形態をコピーするような仕組みにしないと。

イケメン宇宙人との邂逅で愛を知る主人公のロシア少女(高校生?),ついでにイケメン宇宙人も永遠の命よりも大切なものを知る,なんてのは,まぁ,安直なテーマです。せっかくスペシャルなCGで完璧な宇宙船不時着を描いてるのに(大いに期待したのに),この映画のクライマックスはその最初の20分だけで,残りの100分は陳腐です。残念。でも,最初の不時着シーンだけは見るに値します。

でも,この映画,続編がもう出ています。『アトラクション 侵略』。あれ?今度は侵略してくるのか?


2021年3月2日

ポゼッション

(原題:The Possession)(アメリカ・カナダ,2012)

少女はある日,ガレージセールで古めかしい木箱を見つける。その木箱には悪魔が住んでいた。悪魔に魅入られた少女は,少しずつ乗っ取られていく。菜食主義だった少女が,夜な夜な生肉に食らいつきます。ちなみに,「この映画は実話に基づいています」と最初にテロップで出ます。うへぇ。

いわゆる悪魔が憑依する話。憑依する相手は少女。ユダヤ教のエクソシストも登場する。だから『エクソシスト』と構造的には同じ。でも,『エクソシスト』ほどグチャグチャでドロドロした感じはない。何でだろう?あんまりドバドバ出たりゲロゲロ出したりしないからかも。悪魔の力は強力だけど,無力感に襲われるほど圧倒的でしつこいわけではない。だから当の少女が見てられないほど可哀想なことにはならない(それでも,かなり可哀想だけど)。

ただ,取り憑く相手に「住んでる」感じがものすご~く気持ち悪い。タイトルがpossessionだから,悪魔の箱を所有する,って意味なのかと思いましたが,身体の中に持ってる,って意味もあるだろうし,箱の中に入れている,って意味もあるでしょう。と,ここで単語の意味を調べてみたら,そもそも「悪魔が取り憑くこと」って意味もありました。これがタイトルの原義か。まぁあとは,大量の蛾ですね。そういえば『サスペリア』は蛆で,『来る』は芋虫でした。大量の。

90分の尺だからコンパクトに調えられていて,飽きさせない。悪魔の力は徐々に高まり,周りも徐々に「悪魔のしわざ」であることに気づいていく。ラストはちょっと予想できたけど,でも,まぁ,そうでなくちゃね,という具合に怖いです。家族,夫婦,親子がサブテーマになっていてその展開もほどほどにしつこくなくて良い。映像も全体的に白を基調としてスタイリッシュ。「低予算」映画らしいから,この映画,よくできてると思います。

★★★


イップ・マン 最終章

(原題:Ip Man: The Final Fight)(香港,2013)

いわゆるドニー・イェンの葉問シリーズではなく,これはアンソニー・ウォンの葉問です。と思ってよくよく調べてみたら,葉問シリーズは,デニス・トーのシリーズもあるのね。そしたら,ケヴィン・チェンのTVシリーズもあったりする。つまり,今,葉問を演じる役者は4人いるってことで,水戸黄門のようなものですね。架空のキャラクターも含めれば,ジェームズ・ボンドみたいなものか。いや,同じシリーズで俳優が変わるわけではないから,金田一耕助だろうか。とにかく,実在した「イップ・マン」を全く別のシリーズとして4つ製作するぐらいだから,とにかく「イップ・マン」と冠すれば売れる鉄板コンテンツ,ということですね。

説明するまでもなく,葉問は,ブルース・リー師父の師父です。私の書斎の四方の壁のどこを見ても,リー師父が掲げてあるのですが(今,ぐるりと回って数えたら,リー師父のご尊顔は,見えるところに,ざっと20ほど),リー師父のマーシャル・アーツ(ジークンドー)のベースにあるのが,この葉問の詠春拳です。

アクション映画として見れば,ドニー・イェンのカンフーは超絶的なので,もう比べようがありません。だからもう,おそらく演技的な深みで勝負するしかないということで,このアンソニー・ウォンの葉問。悪くはないです。ただ,実際の葉問は小柄なのに,アンソニー・ウォンは大柄なんですよね。そこが終始気になりました。

ドニー・イェンの葉問はもう,ドニーのカンフーを徹底的に見せるために構成されていますし,出ている俳優も知られた人だったり有名な格闘家だったりして制作にお金がかかってる感じがします。だから,このアンソニー・ウォン版がどの点にオリジナリティを置こうとしたのか,イマイチよく分からない。アクションなのか,人間模様なのか,ストーリーなのか,あるいは史実に基づく正確性なのか。

でも,最後まで観ることはできました。やっぱり,葉問は鉄板かもしれません。なにせ,リー師父がどこかで絶対絡むから(笑),そこが見所として鉄板です。

★★


2021年3月1日

感情史とは何か

バーバラ・ローゼンワイン/リッカルド・グリスティアーニ(著) 伊東剛史・森田直子・小田原琳・舘葉月(訳) 2021 岩波書店

日本感情心理学会で2017年に開かれたセミナーと機関誌『エモーション・スタディーズ』の第5巻の特集のご縁で,学会に書評依頼が来まして,これまたあれこれ経緯がありまして,私が書評を書かせていただくことになりました。3月発行の感情心理学会のニューズレターに掲載していただきます。

なので,詳しいことはそちらに書いたので,その書評はここで後々再掲するならするとして,以下,そこでは書かなかったことを書きます。

まず,この本を読んで,この「感情史」というのは,面白い研究領域だということが改めて分かりました。門外漢なので上手に説明できないですが,歴史学の一領域で,感情というテーマで特定の時代の特徴を,あるいはある程度の幅を持った時代的変遷の特徴を描き出す,という感じの学問です。例えば,政治史とか経済史とか科学史とか教育史とかあると思いますが,そういう意味で「感情史」です(たぶん)。これは,感情を研究する人からすれば,興味深くないわけがない。

ただ,やっぱり歴史学ですから,読み解き方だとか分析の仕方だとかは心理学の自分から見れば独特です。そうか~,歴史学って,こういう風にやるのか~,と感心しました。最近は言語学が面白くて色々読み漁っていますが,それでもやっぱり血肉となるにはもっと専門的な訓練を受けないと分からないところは大きいです(なので,そのうち,大学院に入って,ちゃんと言語学をやりたい)。ましてや,歴史学は今回初めて読んでみたので,なかなかつかみどころが分からない面はあります。

ただ,この本はそういう意味で「入門書」ですから,とりあえず,最初にちゃんと読んだ本としては正解だったかと思います。感情の歴史学,ぼちぼち追いかけてみようかと思います。