2020年11月29日

ピンポン

(日本,2002)

主演は,窪塚洋介とARATA。松本大洋の名作「ピンポン」が原作。脚本は宮藤官九郎だそうです。そもそも原作漫画は読んでいたから,面白いこと必至なんだけど,原作のキャラクターを上手に再現しているし,映画としてもよくできています。ずっと前に観たことはありましたが,また観てしまいました。やっぱり面白い。この前,ユニクロでコラボTシャツも買ってしまった。

登場人物のキャラが立っているのは松本大洋の特徴ある絵からして必然な部分はあるけれど,映画としてはやっぱり,中村獅童のドラゴン(風間)が良いよね。中村獅童でないとこのキャラは無理でしょう。

才能に甘んじて練習しないペコ(窪塚)とそれをあんまり面白く思っていない幼なじみのスマイル(ARATA)。スマイルは,ペコが負ける姿を見たくない。なぜなら,スマイルにとってペコはヒーローだから。これに絡むのが,ライバルの中国人留学生チャイナと最強高校生ドラゴン。

全然関係ないけれど,これを観て,そういえば「燃えよ!ピンポン」をまた観たくなってしまった。

★★★


インセプション

(原題:Inception)(アメリカ,2010)

クリストファー・ノーラン監督,レオナルド・ディカプリオ主演。ちょうど今,ノーラン監督の「テネット」という,どうやら噂ではかなりややこしい映画が上映中ですが,この前観た「インターステラー」といい「メメント」といい,時間をまたぐ(前後する,超える)ことがこの監督の趣味なのか,とにかく,この「インセプション」もややこしいぞ(笑)。

テーマは「夢と現実」かな。映画サイトの紹介にときどき「無意識」とあるけれど,無意識は覚醒中にも働いているわけで,決して眠る(夢を見る)必要はない。自由連想法によっても無意識の願望をすくい取ることはできる(とするのが精神分析)。ただ,フロイトが夢の中に無意識の願望が表れるとしたことから,夢を大いに活用したのもまた事実(それが夢分析)。

この話は,そういう願望充足の場である夢の世界に潜り込んで,特定の人物から秘密を盗み取るエージェントが,自分の無意識に抱える罪悪感と願望と戦いながら,ある難しいミッション(ある人物に逆にあるアイディアの萌芽を植え付ける:インセプションする)を達成しようとする,そういう物語です。

夢を見ているときは,それが現実だと思って夢と疑わない。夢だと自覚して観ている夢をいわゆる「明晰夢」というのもありますが,普通,自覚するとしても覚醒の直前ぐらいでしょう(練習すれば長くその状態を保てるという話もあります)。ただ通常は,夢は現実と変わらないリアルさを持って観ているものです。覚醒して初めて夢だと気がつく。だとすれば,今の現実はもしかしたら夢なんじゃないのか。だからこの映画を観てすぐ思いついたのは,荘子の「胡蝶の夢」の話。自分が蝶になった夢を観た荘子は,人間だと思っている自分はもしかしたら蝶が観ている夢かもしれないと思う。

なお,物語の構造としてややこしいのは,夢の中でまた夢を見て,さらにまた夢を見るという三層構造になっているところ。下の層にいくほど,時間は何倍にも長くなる。まるで相対性理論に基づくウラシマ効果的な設定になっています。「インターステラー」に通じます。

気になるのは,映画に出てくる「装置」を使ってつながると,ある人物の夢の中にみんなで一緒に入ることができるところ。なぜだ?(笑)しかもその装置は,ちゃっかり夢の中にもまた出てくる(だから,さらに夢の中で夢を見て,一緒に下層の夢に降りていくことができる)。

とまぁ,鑑賞後にいろいろと思いが浮かんでくる映画で,ややこしいですが,映像も綺麗だし,サスペンス・アクション映画としても面白いし,主人公の変化もまた面白いし,ラストも面白い。

★★★


2020年11月14日

人間と機械のあいだ:心はどこにあるのか

 池上高志・石黒浩 2016 講談社

2016年に,東大の池上先生と阪大の石黒先生の共同プロジェクトで「機械人間オルタ」というのを作って,日本科学未来館に展示・実験をした,というのを軸に,前半を石黒先生が,後半を池上先生が,アンドロイドや生命や人間について論じている本です。とても刺激的。

2016年の本なので,まさにオルタ展示の後すぐに出版されていて,プロジェクトの熱量を感じます。僕もこの本を2016年に読めばもっとワクワクしたかもしれません。ただ,本というのは縁ですから,辿り着いたそのときが読むベストなタイミングである,つまり,自分の方にそれを読む準備ができているからこそアンテナに引っかかる,と思っています。だから,今読んでこそ,刺激的に感じます。

石黒先生はアンドロイドを通して「人間とは何か」を問うことに究極的な目的がある。その中で,「「心」とは社会的な相互作用に宿る主観的な現象だ」と考えていると言っていますが,まさにその通りだと思いました。心理学には,Mind Perception(「心」があると感じるかどうか)という研究もあります。ただそれは「心」を客観的に捉えようとするとそうなるわけですが,では,今ありありと感じている私の主観的な意識のようなものを,機械でできたアンドロイドも持ちうるのかどうか,そこのところを考えていると楽しくて,いつまでも想像して終わりません。

一方,池上先生は人工生命の研究者で,「生命とは何か」を問うています。「生命」感も結局,「心」感と同じく,人間側から見る主観的解釈だ(石黒先生)と言えばその通りですが,池上先生は何かそこに物理的化学的な現象として表現できるものがあるのではないか,というようなことをしようとしているのだと解釈しました。

昔から自分で気に入っている講義ネタ(高校生や大学の初学者向け)に,『ブレードランナー』『ターミネーター』『アンドリューNDR114』なんかの映画を例にしながら,心理学が対象としている(ということに表向きなっている)「心」というものを考えてもらい,「心理学」という怪しい学問のきわどい性質を考えてもらう,というのがあります。この「心とは何か」というのは,結局,「人間とは何か」という問いであり,「心」が機械と人間を分かつものだとすれば,そして,機械は非生命で人間は生命だとすれば,結局,「生命とは何か」という問いと等しい。

心理学をやる人は,だから,こういう話も読んでおいた方が良いよね。オススメです。


2020年11月10日

言葉を練る

 この10年余り(2010年代),「身体」を中心にあれこれ考えたり,実践したり,書いたりしてきましたが,この1~2年,「言葉」の深さと面白さに改めて惹かれています。特に言語学,その中でも特に日本語の認知意味論に強い関心を持っていて,いろいろ読んだり探ったりしています。楽しい。

そこで,本ブログの副題に,「言葉を練る」を加えてみました。身体を練る,言葉を練る,心を練る。(ついでに,背景の画像もリニューアル。ただしかし,テーマは引き続き「水」です。禅とタオの極意ですからね~)

ちなみに,その前の10年(2000年代)は,筆記開示(感情の言語化)というやつをテーマに研究していましたので,そういう意味では「言葉」に再び戻るような感じになるわけですが,決して「言葉」だけをまた中心にやろうというわけではなく,「身体」ばかりでなく「言葉」もまたじっくりやろうと思っている,ということです。

禅は「不立文字」で極めて身体的であり,武術もまた身体的であり究極的には言葉を介さないわけですが,それでも言葉を駆使するのが人間です。言葉というものの性質を知り,長い歴史を経て形成されてきた言葉(日本語)を眺めることは,人間(日本人)を眺めることと同じです。そういうものである言葉を練っていくこともまた,身体を練ることとともに,結果的に心を練ることにつながっていきます。というか,身体を練り,言葉を練ることは,そのままつまり,心を練ることなのだと思います。リサ・フェルドマン=バレットも,京極夏彦も,大切なのは言葉なのだ!と言っています。

ずっと別のブログとして書いていた書評も映画評を,このブログに統一・合流させました。こうした書評も映画評も,言ってみれば言葉を練る一つの実践です。そもそもこうしてブログを書いていること自体がそうですね。誰が読むでもない(笑)ブログは,誰が読むわけでもないけれども,一応,公開されているがゆえに,それなりに客観性(他者視点)を保ちながら言葉を綴ることのできる(点で都合が)良い媒体です。ブログは言葉を練る修行(稽古)ですね。


2020年11月9日

メメント

(原題:Memento)(アメリカ,2000)

妻が殺され,そのとき自分も頭に怪我をした後遺症で記憶障害の一つ「前向性健忘」になった男が,妻の復讐のために奔走する話。前向性健忘とは,発症以前の過去の記憶は残っているが,発症以後の新しいことを記憶できない(物語では,10分ぐらいで忘れていく),という症状である。

クリストファー・ノーラン監督の,ものすごく奇妙な映画。時間軸通りに進むことを「前進」とすれば,この映画は時間軸に沿って「後退」していく構造になっている。つまり,113分の映画そのものは(当然)我々の時間軸通りに「前進」していくのに,話はどんどん「後退」していくのだ。ややこしい。ものすご~くややこしい(笑)。もちろん場面場面は「前進」しています。決して巻き戻し映像を見ているわけではない。場面が切り替わってどんどん「後退」していくのである。なお,冒頭の場面は,この映画が「後退」の物語であることを暗示するために,あえて巻き戻し映像を見せています。

先の場面で繰り広げられるやりとりが,後の場面で明らかになっていく。だから構造自体は謎解きの連続になっている。でも(だから),観ていて,今,時間軸上のどこにいるのか混乱する。この混乱はある意味,記憶障害である主人公の主観の混乱を暗示しているのかもしれない。

10分で忘れてしまう症状を自覚している主人公は,忘れないように,ポラロイド写真を撮り,メモを取り,自分の身体にタトゥーを入れる。毎度毎度,写真を見て人物や場所を確認し,メモを見て判断し,タトゥーに気づいて考える。タイトルの「メメント(memento)」は,(過去を思い出すための)思い出の品,という意味ですね。

混乱必至の映画なので,観た直後の頭の中はすっちゃかめっちゃかですが,人間というのは,「整理されていないと反すうする」傾向があります(これを,埼玉学園大学の遠藤寛子さんと私は,「思考の未統合感」と名づけています)。だから,この映画のことが2日間ぐらい頭から離れなかった。で,ようやく書いています。どうも最近の映画の傾向として,こういう,極端にややこしい映画が流行ってると言われますが,そうすることによって謎が残るために余韻が残る,というのはありますね(だから,戦略的にややこしくする,ということもあると思います)。

★★★


2020年11月5日

蹬脚

 太極拳(中国武術)には,「蹬脚(とうきゃく)」という蹴り技(蹴り方)があります。英語で言えば,Heel Kickになります。日本語に訳せば,「かかと蹴り」でしょうか。


太極拳の場合,この蹬脚を「ゆっくり」行います。非常に難しい。まず,脚が上がらないし,上げたところで保てません。一つには筋力の問題だと思うし,一つにはコツ(身体の使い方)だと思います。力と技の両方ですね。

膝がなかなか良くならないのは,太ももとお尻,要するに腰周りから下半身にかけての筋力不足のせいだろうと思い(僕はどちらかというと脚が細い),何か良い方法はないだろうかと考えていました。単純にスクワットとかのような,いわゆる「筋トレ」は大嫌いです。

そこで,空手の「前蹴り」を太極拳の蹬脚のように「ゆっくり」とやってみようと思い立ち,ここ1ヶ月ぐらい,毎朝やっています。これがなかなか,良い。想像以上に鍛えられている感じがします。

膝が悪いのにスクワットとかすると膝に負担が掛かって余計に痛くなります。水泳や水中ウォーキングでも,結局,膝に負担がかかるので,痛くなります。膝の痛みを無くすために筋トレをすると余計に痛くなるという悪循環。そこで,いかに膝に負担を掛けないで下半身の筋力強化をするか,しかも,楽しく強化するかを考えて,「蹬脚的前蹴り」に辿り着きました。タイチー空手です。

太極拳の蹬脚のように斜め横方向に蹴り出すと,軸足の膝がねじれて痛いので,僕の場合は素直に空手の前蹴りが自然でした。人によって身体の構造は若干違いますから,軸足に対してどちらの方向に蹴り出すのが自然かは,人それぞれだと思います。試してみたい方は,自分の身体と相談しながらやってみてください。


なお,空手の前蹴りですが,稔真門では,つまり,小林先生や西田先生の教えでは,蹬脚のようにかかとを出して蹴ります。かかとで蹴るわけではありません。前蹴りとは,かかとを出すように蹴り跳ねることで,足先(上足底)によって急所を下から蹴り上げる技だからです。

相手との距離が遠ければ,足首を伸ばして甲で蹴っても良いですが,伸ばして蹴ると足の指先や足首を痛める可能性があります。ですから,基本的には上足底で下から金的を蹴り上げる。これが前蹴りです。

一般的には足首を伸ばして上足底で中段や上段に蹴り込むような前蹴りを習うのだと思いますが,それはそれで間違ってはいないと思います。ただ,我が稔真門では,かかとを出す感じで蹴ります。それも決して金的(急所)より上を狙うことはありません。護身的な実戦を考えれば,必然的な結論ですね。


2020年11月4日

気持ちをあらわす「基礎日本語辞典」

 森田良行 2014 角川学芸出版

1989年出版の「基礎日本語辞典」(森田良行,角川書店)から,気持ちに関わる言葉を抜粋して再編集したもの。一つ一つの項目(言葉)に関する解説はとても丁寧で,森田先生独特の表現で語られていて面白いです。

ただ,本として読むのはちょっと退屈でした。「あ」から始まって五十音順に言葉が出てくるのですが,当然,各言葉の間には関連はありません(関連語は出てきますが)。やっぱり,知りたい言葉を探して辞書を引くのは楽しいですが,ただ淡々と最初から読むのは楽しくないですね。

知りたい言葉だけ飛ばし読みしました。


2020年11月3日

エリジウム

(原題:Elysium)(アメリカ,2013)

富裕層は無菌的に守られた豊かなスペース・コロニー「エリジウム」に住み,貧困層は荒廃した劣悪な環境の地球に住む。こういう設定は良くあるし,個人的には好きだけど,この映画はなんというか,全体的に薄っぺらい。

主演はマッチョなマット・デイモンなのに,格闘技的なマニアックなアクションはほとんどないに等しい。もったいない。致死量を超える放射能を被曝してふらふらなのに(余命五日!),神経につなぐパワードスーツで改造されると,会話も表情も動きも元通り。監督としては敵となる殺し屋を暴力的で変態的で危険な人間に描こうとしているのだろうだけど,そのためか,この殺し屋の殺し方が,敵を爆死させたり刀で切ったり,というグロな方法。シンプルすぎ。ちなみに自分も顔が吹っ飛ぶ(けど,科学の力で復活。おいおい)。

エリジウムの映像は美しいし,宇宙都市は良く出来ている。それに地球の荒廃ぶりも良く描かれている。だけど,どうやって経済が成り立っているのかがイマイチ分からない。やっぱり,地球の貧困層が搾取されている,的な描写や説明は初めの段階でもっと必要かも。

他にも,地上から撃った携帯型ミサイルで宇宙を飛んでいるシャトルを打ち落とすとか,簡単に(10数分で?)シャトルでスペース・コロニーと地球を行き来できてしまうとか,極めて重要な人物が地球にいて簡単に襲撃可能な工場の庭から護衛もほとんどなくシャトルで出発するとか,ノートパソコン一つで結構サクサクとコロニーの中を侵入できちゃうとか,とにかく,全体を通してちょっと気になるご都合主義が多すぎるね。