2020年11月10日

言葉を練る

 この10年余り(2010年代),「身体」を中心にあれこれ考えたり,実践したり,書いたりしてきましたが,この1~2年,「言葉」の深さと面白さに改めて惹かれています。特に言語学,その中でも特に日本語の認知意味論に強い関心を持っていて,いろいろ読んだり探ったりしています。楽しい。

そこで,本ブログの副題に,「言葉を練る」を加えてみました。身体を練る,言葉を練る,心を練る。(ついでに,背景の画像もリニューアル。ただしかし,テーマは引き続き「水」です。禅とタオの極意ですからね~)

ちなみに,その前の10年(2000年代)は,筆記開示(感情の言語化)というやつをテーマに研究していましたので,そういう意味では「言葉」に再び戻るような感じになるわけですが,決して「言葉」だけをまた中心にやろうというわけではなく,「身体」ばかりでなく「言葉」もまたじっくりやろうと思っている,ということです。

禅は「不立文字」で極めて身体的であり,武術もまた身体的であり究極的には言葉を介さないわけですが,それでも言葉を駆使するのが人間です。言葉というものの性質を知り,長い歴史を経て形成されてきた言葉(日本語)を眺めることは,人間(日本人)を眺めることと同じです。そういうものである言葉を練っていくこともまた,身体を練ることとともに,結果的に心を練ることにつながっていきます。というか,身体を練り,言葉を練ることは,そのままつまり,心を練ることなのだと思います。リサ・フェルドマン=バレットも,京極夏彦も,大切なのは言葉なのだ!と言っています。

ずっと別のブログとして書いていた書評も映画評を,このブログに統一・合流させました。こうした書評も映画評も,言ってみれば言葉を練る一つの実践です。そもそもこうしてブログを書いていること自体がそうですね。誰が読むでもない(笑)ブログは,誰が読むわけでもないけれども,一応,公開されているがゆえに,それなりに客観性(他者視点)を保ちながら言葉を綴ることのできる(点で都合が)良い媒体です。ブログは言葉を練る修行(稽古)ですね。


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