2022年10月29日

オセロ

1年ほど取り組んで2級までたどり着いた「将棋」ですが,最近はもうすっかり遠のきました,結局,息抜きやリフレッシュや気分転換のためにやる将棋への取り組みがストレスになっては,まさしく本末転倒です。要は,かなりの集中力とエネルギーを使うことと,勝ち負けへのこだわりが捨てきれないことが原因であり,マインドフルネスの良い訓練だと思っていましたが,いやいやもう全然,凡夫の自分には過酷すぎる修行でした(笑)。

一方,最近はまっているのが「オセロ」です。オセロは,将棋にくらべて展開のバリエーションはそれほど多くありません。しかし,セオリーや技はあるので,奥は深く,上級者は基本的に強い。ただ,上級者にまったく勝てないわけではありません。それは,オセロというゲームのシンプルさにあると思います。

8×8のマス目に交互に石を置いていき,挟んだら裏返す。ただこれだけのルールですが,オーソドックスな攻めや受けのセオリーもあれば,駆け引きもあって,面白い。そして何より,マスが埋まれば必ず終わります。僕がやっているのは「オセロクエスト」ですが,互いに持ち時間5分で,時間切れはほぼなく,ゲーム時間はだいたい5~6分です。

こういうゲームだからなのか,将棋のときのあのストレスが,オセロをするときは,ありません。シンプルだけど,いや,シンプルゆえに奥が深い,というのが良いのだと思っています。たぶん,将棋の場合,いかに先まで読むかが要になってくるので,頭の中で複雑な駒の動きのシミュレーションをかなりしなくてはいけない一方,オセロももちろん読みは必要だけれど,やることは白黒の石の挟み方なので枝分かれの数や読む先の手数は,将棋ほど多くなく,そのときそのときで判断していく感じなのではないかと思うのです。だから,頭がそんなに疲れない。ストレスにならない。

でもって,ゲームの性質上,展開がうまくいくとたまに上級者にも勝つことがあるので(偶然や幸運もありますが),気分が良い。負けたら悔しいし残念だと思いますが,毎回が5分そこそこの勝負なので,すぐ次にチャレンジできます。将棋は,長いゲームや考え抜いたゲームをした果てに,一回のミスで負けると,ほんと悔しい(笑)。

上級者に勝つことがたまにある一方で,自分が逆の立場になることもあるので,オセロってのはそういうものだと納得できます。つまり,たまに予想外に勝ったり負けたりする,そういう性質のゲームなのです。でも,それなりにセオリーがあるから,基本的には上級者が勝つことが多い(実力に差があれば,偶然勝つことは少ないけど)。世の中には運や偶然性の要素の強いゲームもあり,そういうのが好きな人もいますが,オセロは基本的には経験と技術の勝負である一方,展開によっては負けたり勝ったりする,そういうゲームだと思います。

将棋は,個人的には2~1級の壁のようなものがあって,2級以上はほぼ実力通りの結果になってしまうから,棋力を上げないと全く勝てる気がしません。つまり,この先は,1級から初段を狙うためにギアを上げて努力する人と,できない人(努力しないから勝てない人)の分かれ目なんじゃないかと思います。僕は明らかに後者。

というわけで,シンプルゆえに奥の深いオセロに最近はまっています。気分転換,息抜き,リフレッシュに,ちょうどよい。結局,「初段」を狙うとか,そういう「目的性」をもつことが良くないのだろう(それがストレスの原因となる)ということは,マインドフルネス的にも,また,仏教的にも言えるわけですが,なかなか抜けきれませんでした。その点,オセロはあんまりそういう気分(段級位への強いこだわり)にならないのはなぜか。

日本オセロ連盟が認定する段級位制度はあるものの,そもそもその外部的な段級位へのこだわりがあまり喚起されないからかもしれません。なぜ喚起されないのか。そういう級段位制度が一般に知られていないからでしょうか。ただ一方で,単純に,白黒がひっくりかえるそのシンプルなゲーム性そのものの楽しさが全面に出ているからでしょうか。将棋の場合は,戦場の最前線を模していますが,オセロはもう少し俯瞰的な地形的戦略(陣地取り)を模している気がします(囲碁に近い?)。そこも,将棋の方が1対1の勝ち負けにこだわる,つまり,私と他者の上下関係(強弱関係)に強くこだわってしまう一因なのではないかと思われます。この「なぜ」については,またいずれ考察したくなったら考察します。



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