2021年5月5日

ギヴァー 記憶を注ぐ者

(原題:The Giver)(アメリカ,2014)

出生も家族も職業も言葉も服装もすべて管理統制された近未来。人々は毎朝必ず(感情を抑制する)薬の接種が義務づけられている。争いのない平和な社会に生きる主人公ジョナスは,職業を告げられる儀式の日,「レシーバー」となることを告げられ,「ギヴァー」の老人から特別な教育を受けることになる。それは,過去の人類の記憶であった。

管理統制された近未来で感情を取り戻すという物語は,よくあるパタンであり,本作もその一つ。ではオリジナリティとしてどういう管理統制社会を描き,どうやって人間らしさを取り戻すかが見所となるわけですが,ここでは,この社会で唯一特別な地位を与えられている「記憶を継ぐ者」になる,という設定です。この記憶の継承者の役割は,人類の記憶を受け継ぐことで,社会の助言者となるというもの。主人公のジョナスは,その資質からこれに選ばれる。そして,記憶の継承は,精神感応のような特殊な方法で行われる。

ありとあらゆる記憶を受け継ぐわけだから,管理統制されている社会では誰もが経験したことのない喜び,悲しみ,痛み,などをジョナスは次々と経験することになる。そもそも,「色」という概念がない管理社会で育ってきたジョナスはまず,ありありとした「色」を感じる喜びから経験していく(映画は冒頭からずっとなぜか白黒なのですが,このシーンでようやくその意味が分かります)。

雲上の丘に作られた近未来の街は簡素だけれど清潔であり,何も不自由はない。だからこの社会に馴染めば何も問題はありません(映画としても,それほど冷淡な社会としては描いていない。若者も,規則に沿いながら,それなりに笑顔で人生を楽しんでいる感じ)。しかし,色もダンスも音楽もないこと,「愛」という感情がないこと,「解放」という名の死(人工統制=殺人)が出生時と老後に機械的に行われること,それに対して人々が何も思わないことに主人公は強い疑問を感じるようになります。

物語の最後として,主人公がこの歪んだ社会を一挙に解決する方法を求めて突き進んでいくわけですが,その方法がなぜ問題の解決になるのか,その理屈というかメカニズムが良く分からないのがちょっとどうかと思いました。なんかもっと工夫のしようがあったんじゃないかなぁ。そもそもこれ,映画ではかなり端折られていますが,同名の有名な小説の映画化らしいので,もしかしたら,原作の方はその辺りもっとよく練られているのかもしれません。

★★



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