2021年5月1日

オートマタ

(原題:Automata)(ブルガリア/アメリカ/スペイン/カナダ,2014)

アントニオ・バンデラス主演の近未来SF。時は2044年。太陽フレアの影響で砂漠化し大部分が汚染された地球に残された人類は2100万人。労働力不足を補うために,ROC社は人型ロボット・ピルグリム7000型を開発した。工場での作業から家事まで担うロボットには,2つの遵守すべきプロトコルが組み込まれていた。それは,

(1)生命体に危害を加えてはならない

(2)自他のロボットの改造を行ってはならない

というルールであった。ROC社の保険代理人であるジャック・ヴォーカンは,ある日,自己改造をしている疑いのあるロボットの調査を言い渡される。つまり,2つめのプロトコル違反というわけだが,通常,プロトコルを書き換えることはできない。ではなぜ?

ここから誰でも思うのは,いわゆるアイザック・アシモフのロボット工学三原則(ロボット工学ハンドブック第56版,2058)ですね。

First Law: A robot may not injure a human being or, through inaction, allow a human being to come to harm.(人間を傷つけてはいけない。あるいは,人間が傷つくのを看過してはいけない)

Second Law: A robot must obey the orders given by human beings except where such orders would conflict with the First Law.(人間の命令に服従しなければならない。ただし,第一法則に反しない限り)

Third Law: A robot must protect its own existence as long as such protection does not conflict with the First or Second Law.(自己を守らなければならない。ただし,第一法則と第二法則に反しない限り)

これに対して本作『オートマタ』のプロトコルはシンプルであり,とにかく「生命体」に危害を加えてはいけないことが第一原則なのですが,この映画のポイントはむしろ,2つめのプロトコル=改造の禁止,にあります。

映画としては,ロボットやアンドロイドが出てくる映画にありがちな,「自己」や「意思」や「感情」を持ち始めた特異な単体を巡る話なわけですが,そんなロボットやアンドロイドが人間に反抗したり復讐したり反乱を起こしたり,という映画はありません。君は君,私は私,それが自然の流れ,という落ち着いた(人間VSロボットでドンパチはやらない)映画であり,むしろ,そんな流れに人間の方がおろおろし,うろたえ,無茶をする,そういう人間の悲しさや愚かさを描いています。アシモフのロボット工学三原則ではないところが,物語に深みを与えています。ただ,後半はちょっとダレるかなぁ。やや間延び気味。

オートマタ(automata)は,オートマトン(automaton)の複数形で,いわゆる中世から近代にかけてヨーロッパで作られた「自動人形」(機械人形)のことですね。日本でいうところの「からくり人形」です。

★★


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