2014年10月1日

道を譲る

道を歩いていると,向こうから人や自転車がやってくる。歩道が狭い場合は,相手に譲ることにしている。

最近,このときの,譲られた相手の反応をさりげなく観察している。嫌らしいといえば嫌らしいのだけれど(笑),さて,人は,道を譲られたときどうするのだろうと思ったからです。

それで驚いたことに大半は,僕のことを,まさに路傍の石か何かぐらいにしか思っていないように,あるいは,僕が透明人間であるかの如く,まったく無反応で通り過ぎます。じっと前方を見ているか,あらぬ方向をぼんやり眺めるか,はたまたうつむき加減で,通り過ぎていきます。

その人が通り過ぎるまで,僕はじっと待っています。なのに,まったく無反応。

いや,何も,反応して欲しい(礼を言って欲しい),と言っているわけではありません。別に感謝されたいから道を譲っているのではなく,近づいて対面して右に左にと相手と一緒に反復横跳びするのが面倒臭いので,先に譲っておくだけです。

なぜこういうことを思ったり観察したりするようになったかというと,その,4ヶ月間ホノルルに住んでいて思ったのは,向こうの人は,とにかく,赤の他人でも何らかのコミュニケーションを取ることが多くて,それはそれで最初は面倒なんだけれど,慣れると気持ちの良いものだと思っていたからです。道を譲り合ったときには,ほぼ例外なく,礼を言うか何らかの挨拶をする。

で,日本はこういうときどうだっただろうと意識して見てみると,基本,無反応(無視)なんだなと,改めて気がついた,ということ。

日本人は,知っている人と知らない人をはっきり区別するのかもしれない。知っている人には親しくする。一方,全く知らない人は,石と一緒で,人間ではないし,そもそもそこに存在すらしていない。だから,挨拶も礼もしない。石や透明人間に挨拶や礼をする人はいないからね。

でも,オモテナシの国なんですよね,ここ。ああそうか。つまり,知っている人知らない人ではなくて,関わりのある人とない人とを区別するのかもしれない。だったら,すれ違ったときには何らかの関わりが生じているのだから,ちらっと会釈ぐらいすれば良いのにね(って,やっぱり本心は,礼を言って欲しいのね)。

石扱いする(される)よりは,そのときだけ関わりの生じた知らない人であっても,お互い軽く会釈ぐらいする,そういう柔らかい世の中が,良い。ように思う。

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