2022年5月22日

将棋と勝敗

将棋は,勝ち負けを競い合うゲームです。だから,勝つときもあれば,負けるときもあります。良いときもあれば,悪いときもある人生そのものです。

将棋をやっていると,負けたときは悔しくて,こんなゲーム,もう二度とやるものかと腐ります。今まで費やしてきた時間が無駄だった,もう金輪際やらないぞ,と気分が悪くなります。そういう悔しい気持ちになりたくないから,次に勝負することに躊躇してしまいます。

かたや,勝ったときは嬉しくて,ああ,なんて爽快なんだ,将棋をやっていて良かった,今まで費やしてきた時間は無駄ではなかった,またやろうと,気分が良くなります。そういう楽しい気分になりたいから,また次の勝負をしてしまいます。

人生もそんなもんで,楽しいことなんてほとんどなくて,だいたいが大変だったり辛かったり面倒臭かったりすることばかりで,ああいっそもう辞めたい,どこかに遠くへ旅に出たい(私の場合は早く「ハワイ」に移住したい),と思うのですが,そんなことはできませんから,なんとか毎日生きています。

でも,ときどき良いことがあります。悔しいなぁと思う中に楽しいなぁという一時があれば,それが生き続けていく糧になります。「人間は何のために生きているのか」と問う満男に寅さんも言っていました。

何というかな,『あぁ,生まれて来て良かったな』って思う事が何べんかあるじゃない。そのために生きてんじゃねえか?」(第39作「男はつらいよ 寅次郎物語」)



と,将棋をやっていて,自分自身がいかに勝った負けたで浮いたり沈んだりするか,感情的にブレブレなのかが,よ~く分かるようになりました。そして人生そのものに重ね合わせたりもしているわけです。将棋よ,ありがとう。

実際の自分の人生では,そういう,勝った負けたで浮き沈みするのが嫌で,そういうモノサシのないところにいたいと常々思うわけですが(例えば,「研究」って,ある面でゲーム性が非常に高いので,そういう競争的な世界が嫌で,主流の一線から離れました),そう思いつつも勝った負けたの刺激を求めてしまうのは,浅ましい人間の性なのかもしれません。

そこで思うに,勝った負けたで一喜一憂せず,いかに将棋という勝負を楽しめるか,つまり,勝っても楽しい負けても楽しい,そんな風になれると良いなと思うわけですが,実際のところなかなかそうも行かずに,日々,これもまた心の修行だと思って,浮いたり沈んだりしています。

レイティングが下がったり,級位が下がったりすると(まだ全然,目標の「初段」は先の先),ホント悔しいし,気分悪いッス。


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