2014年9月15日

武の旅

術の原理を探っていくのは宝探しのようだと昨日書いたけれども,宝探しってのは,①宝が何なのか(どんなものなのか)分からない,②そもそも本当にそんなのが存在するのかどうか分からない(存在する可能性が高い場合と低い場合がある),という二重の「分からない」があるから面白い。

ここには,サブバージョンがいくつか成立する。

(A)①どんなものかある程度分かっていて,②理論上歴史上記録上,実際,確かに存在する可能性が高い。
(B)①どんなものかある程度分かっているけれど,②それは単なる絵空事(虚構)であって,そもそも存在しない可能性が高い。
(C)①どんなものかほとんど分からないけれど,②理論上歴史上記録上,実際,確かに存在する可能性が高い。
(D)①どんなものかほとんど分からないし,②それは単なる絵空事(虚構)であって,そもそも存在しない可能性が高い。


(A)は,例えば,歴史学・考古学に基づく探索みたいなものかな。背景や周辺の証拠がはっきりしていて,仮説の信憑性が高い場合。アカデミックです。(B)は,徳川埋蔵金とかナチスの財宝とか,あるいは,妖怪やUMAの類を探しに行く探検がそうかもしれない。ロマンです。(D)は,噂程度の未確認情報に基づいて探しに行く,かなり眉唾なお宝探し。シャレです。これらに対して,(C)は微妙である。なにやら凄いものが隠されているかもしれない可能性が高いけれど,それが何だか良く分からない。これは,宝探しの旅に出る,最初の一歩が出にくいかも。

身体の,特に武の妙術を探る旅は,この(C)に近い。ような気がする。

色んな土地で長きに渡って伝えられてきている武術には,同じ人間の行う身体技法なのだから,そういう各種武術に共通する何かしらの共通原理というのが,ある可能性が高い。もちろん個別には,末節の技に違いはあるけれども,本質的な核となるところはきっと同じである。だって同じ身体構造上の最適な操作に関することなんだから。でも,それは早々明らかになるものではない。分かるには何十年もかかるかもしれないし,人間の一生涯では辿り着けないかもしれない。

武術の旅ってのは,そういう面白さです。手がかりとなる目印だとか,確かにこっちの方だというのが分かる証拠だとかを自分なりに発見しながら歩いていく。当然,宝の在処を指し示す地図はない。あるのは先達(師など)の歩いた道,つまり,その先達が歩いたところまで描いた地図のみ。

さて,その先達が間違った方向へ歩いていると,それはそれは大変なことになる。例えば,北に行くべきところで,だいたい北の方へ向かっていれば,北へ向かう道はいくつもあろうだろうから,それはそれでそれぞれ正しいといえるけれども,もし南に向かっていたり,東西に向かっていたら,それはなかなか厳しい。

まぁ,宝探しの旅程に正解はないし,ルートも無数にあるだろうから,本当のところは,宝を探し当てることが目的なのではなく,宝探しの旅をひたすら続けることが目的なのです。

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