2014年9月8日

系譜

ページトップに「系譜」という見出しを一つ加えました。ここに,私に関する,空手と太極拳の系譜,つまり,師弟関係を示しました。

で,この,一本線になっている系譜ってのは,「錯覚」だということです。例えば,私の空手を辿れば,糸洲安恒先生と東恩納寛量先生に辿り着きます。太極拳の系譜を辿れば,楊露禅先生に辿り着いてしまいます。それが一本の線で表現されます。凄いですね。でも,これ,私という個人的な視点から見た「錯覚」です。

どういうことかというと,各師には,それぞれ他にも弟子がいますから,実際は,下に行けば行くほどミラミッド型に増えていくわけです。しかし,「私」の系譜にとってそれは関係ないですから,捨象します。すると当然,こうして一本の線になります。

弟子の数がそれぞれどのくらい多いか少ないか,つまり,その先生が多くの弟子を取る人だったのかそうでなかったかによって弟子の数は違いますから,単純な三角形にはなりませんが,いずれにせよ,間違いないのは,本当は私はそういうピラミッドの底辺の一つだということです。それでも,「私」という個人的な視点から系譜を眺めると,こうなるわけです。

「私」という視点がいかに特殊かがこれで分かります。でもそうやって人は自分の物語や系譜を紡ぎ,伝統や歴史の中に自分を位置づけ,安定感・安心感を得ようとします。根(root)を求めます。

こういう系譜を見ると一瞬凄いように思えますが,繰り返しますが,それは「錯覚」です。しかし人はそれぞれ,こういう自分に都合の良い様々な錯覚の中で生きていくわけです。ご多分に漏れず,私もその一人です。その方が幸せだからです。

ただ一方で,こうした系譜さえも辿れない曖昧なところで空手や太極拳をされている方も多々おられると思います。つまり私がそもそもこうして系譜を辿ることができるのは,小林真一先生に空手を,Steven Youngに太極拳を習えているという幸運があってのことですから,そこはまさに先生に感謝,武縁に感謝です。

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